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福島千里、世界陸上で完全復活へ。
他者の目を振り払い、自分に集中を。
posted2015/08/20 10:10
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
福島千里は、まぎれもなく日本女子短距離のエースである。
あらためて足跡を振り返ってみれば、これまでに成し遂げてきたことの大きさが分かる。
福島は中学、高校時代から全国大会で活躍していたものの、決して目立つ存在とは言えなかった。大きな脚光を浴びたのは2008年4月、織田記念陸上100mのことだ。11秒36の日本タイ記録をマークしたレースである。
同年6月の日本選手権100mで初優勝を飾るなどして、北京五輪代表に選ばれた。五輪では予選敗退だったものの、女子100mでの五輪代表選出は実に56年ぶりのことだった。
2009年には100m、200mともに2度日本記録を更新。世界選手権100mでは日本女子初となる2次予選進出を果たした。
2010年にも100、200mそれぞれで日本記録を更新。100mは11秒21、200mは22秒89にまで伸ばした。アジア大会では100、200mの2冠を達成。これは日本女子初のことだった。
2011年には世界選手権100m、200m双方で、日本女子初となる準決勝進出を果たす。
その経歴には、多くの「日本女子初」が並ぶ。その存在の大きさを実感する。ただし、2012年からの3シーズンは苦しんできた。
ロンドンでの挫折から始まった苦難の時間。
2012年のロンドン五輪では、100mで11秒41、200mは24秒14と、ともに自己記録を大きく下回り、予選敗退。
2013年のアジア選手権でも100mで11秒53の2位、200mは23秒81で4位に終わる。世界選手権は100mの代表を逃し、200mのみ出場したが23秒85で予選敗退。
2014年のアジア大会でも100mは11秒49で2位、200mも23秒45で3位にとどまった。
大会での成績もさることながら、2011年以降、自己記録すなわち日本記録の更新は一度もなかった。
原因を探れば、ロンドン五輪の挫折に行き着く。このシーズン、好調なスタートを切った福島は、3月の世界室内選手権でインフルエンザにかかり棄権を余儀なくされた。その影響は、今思えば小さくなかった。ロンドンでの走りは、シーズンを通して狂ったリズムを立て直せなかった結果だった。
ロンドン五輪後にはフィジカルの重要性を認識し、パワーアップに努めた。だがその試みは、本来“キレ”で走ってきた福島にとって、自らの走りの方向性を見失うことにつながり、停滞は続いた。