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夢はブンデスリーガ初の日本人監督。
“新たなモウリーニョ”河岸貴とは? 

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遠藤孝輔

遠藤孝輔Kosuke Endo

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photograph byKosuke Endo

posted2015/06/05 16:40

夢はブンデスリーガ初の日本人監督。“新たなモウリーニョ”河岸貴とは?<Number Web> photograph by Kosuke Endo

写真左から、ギュンター・シェーファー、河岸、イェンス・アンドライ。河岸の日本人らしいともいえる真摯な働きぶりは、欧州サッカー界でも高く評価される。

 バイエルン、ブレーメン、ハンブルガーSVに次ぐ通算709勝を誇るドイツの名門シュツットガルトで、約10年に渡って活躍している日本人が存在する。

 河岸貴――。

 現在はインターナショナル部門で日本事業全般を担当しているが、2006年からU-9、'09年からU-10及びU-13のカテゴリーでテクニカルコーチを務めたとおり、指導者として鳴らしてきた人物だ。教え子の中にはドイツU-20代表のFW、ティモ・ベルナーなどがいる。

 '11年2月から'13年8月末にかけては、トップチームにも帯同した。きっかけは岡崎慎司の入団だった。

 この同胞のサポート役を担い、チーム内での通訳から住居選び、食事といった日常生活に至るまで献身的に面倒を見ていた。とりわけ料理はプロ顔負けの腕前で、岡崎から1年遅れでシュツットガルトに加わった酒井高徳は当初、河岸の自宅に足繁く通っては手製のパスタに舌鼓を打っていたという。

抜かりのない仕事ぶりでチームの信頼を得る。

 もっとも、河岸は日本人選手の世話に徹していたわけではない。むしろ多かった仕事は、チームトレーニングの補佐だ。

 当時の指揮官ブルーノ・ラバディア(現ハンブルガーSV監督)に指導者の資質を認められ、監督・コーチを支えるスタッフに抜擢されたのだ。抜かりのないプロに徹した仕事ぶりの評判は良く、選手を含めた周囲の信頼を勝ち取るのに時間は要さなかった。

 なかでも河岸を頼りにしていたのは、現在もトップチームに所属するゲオルク・ニーダーマイアーだ。このストッパーはスタメンから外れる時期が長引くと、オフの日にきまって河岸を呼び出し、個人練習のパートナーに指名していた。

 そうした得がたい経験を積ませてくれたラバディアに感謝の念を抱く一方で、指導者としてのスキルアップに余念がない河岸は、自分なりに恩師の弱みを分析。しっかりと教訓にしている。例えば、'13年夏のシュツットガルト退団後に、マインツでブレイクした岡崎に対するケアだ。

「もう少し信用してあげれば、慎司はまた違った結果を残していたでしょう。監督はマネジメント力がもっとも大切です。もちろん、戦術に明るいに越したことはありませんが、それは右腕のコーチにも託せます。だから、慎司に『信用している』と伝えながらも、試合で起用がない場合は疑問に思いました。その一方で、高徳とはよく個人面談をしていました。それぞれの個性に合わせた接し方をしていたと思いますね」

【次ページ】 シェーファーも認めた“サッカーへの情熱”。

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