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柴崎岳がUAE戦後にもらした“本音”。
取材エリアを素通りしなかったわけ。

posted2015/01/26 11:55

 
柴崎岳がUAE戦後にもらした“本音”。取材エリアを素通りしなかったわけ。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

柴崎岳、22歳。今大会中には本田圭佑からFKを譲られるなど、若手ながら一目置かれる存在である。

text by

西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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Takuya Sugiyama

 2015年1月23日。アジアカップ準々決勝、日本対UAE戦。

 思い返しても、シュートを外した後の苦い表情や、眉間に皺を寄せる選手たちの顔ばかりがよみがえる。

 だが、ただ一人颯爽とピッチに登場し、冷静にプレーし続けた選手がいた。

 柴崎岳。年齢に似合わぬ冷静沈着さはこれまでも語られてきたが、日本がピンチに陥った場面でさえも、彼はその自分らしさを貫いていた。

 昨年末から、関東で行なわれていた日本代表合宿。年が明けてオーストラリアに渡る直前に、柴崎はインフルエンザで一度チームを離脱した。それでも数日遅れで渡豪し、心配された体力面も回復。チームの練習にもすぐにフルメニューで参加できるようになり、万全の状態でアジアカップ開幕を迎えられた。

アギーレジャパンでの存在感は薄まりかけていた。

 しかしコンディションの上昇とは裏腹に、出場機会は満足には得られなかった。

 アギーレジャパン発足当初、柴崎は武藤嘉紀とともに新体制の看板選手のように扱われた。4-3-3のインサイドハーフの位置で、本田圭佑や岡崎慎司たちと連係を深め、9月のベネズエラ戦では代表初得点も奪ってみせた。

 しかし11月の代表戦で、ハビエル・アギーレ監督は遠藤保仁や長谷部誠、香川真司ら、ザックジャパンで活躍した面々をチームに呼び戻した。そして彼らをMF3枚の主力に固定し、そのままチームはアジアカップに突入した。

 大会が始まっても、MFの交代出場は代表復帰の清武弘嗣に先を越され、起用の序列も徐々に下降気味。存在感は、薄まりかけていた。

 代表に選ばれて以来、柴崎は常に遠藤との比較の視線にさらされてきた。

 いわゆるプレーメーカーとして、中盤中央からボールの配給役となる役割。キックの精度や高い基本技術、そしてサッカーセンス。それらを兼ね備えている選手にしか務まらないポジションを、柴崎は偉大な先輩と競うことになった。

【次ページ】 遠藤についての質問に、負けず嫌いが顔を見せた瞬間。

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