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中田翔の成長はここまでなのか?
「短い打者歴」というひとつの危惧。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byHideki Sugiyama

posted2014/07/04 10:30

中田翔の成長はここまでなのか?「短い打者歴」というひとつの危惧。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

和製大砲の期待を背負い、WBCも日本代表として経験した中田翔。打者に専念してからはまだ6年、その経験の浅さは彼の野球人生にとって致命的なものなのだろうか……。

 プロ入り7年目。それは打者に本格的に取り組み始めてからの年月とも重なるのだが、今季、日本ハムの中田翔の成長度合いがやや停滞している気がしてならない。

 ホームラン(13本、7月2日現在)と打点(51打点、左同)は好調だが、打率が2割台と低迷している。

 彼はようやく本物の打者になりつつある――。昨年夏、中田の言葉を聞き、そう確信した瞬間があった。中田はこう話していた。

「バッティングは正直、楽しくないですよ。そんなに甘い世界ではないので。打席に入るの、怖いですしね。言ってもわからないと思いますけど」

 怖さを知る。それはひとつのことを極める過程で必ず通過しなければならない通過儀礼であり、そこからが一流の打者への道のりだと思ったのだ。

 昨シーズンは8月末に死球で戦列を離れたが、そこまで本塁打28本、打率.303をマークするなど、いずれもキャリアハイとなる成績を残した。プロ入り後、毎年のように試行錯誤を続けたフォームに関しても「今のフォームを固めていきたいと思ってる」と手応えをつかみつつあるようだった。

高校時代は骨の髄までピッチャーだった中田翔。

 大阪桐蔭高校時代、中田は骨の髄までピッチャーだった。

「ピッチングのときだけは、ほんまに真剣に放ってましたからね。ほんまにすごかったんすよ。ピッチャーやってるときの僕、知ってます? 超かっこよかったんです(笑)。今でもよく言われますもん」

 高校1年生で150kmに迫るボールを投げられた指先の感覚は、一種の麻薬のようなものだった。だが、2年春に肘を故障。以前のような球速が戻らず、投手を断念した。

「肘を壊してなかったら、絶対ピッチャーでプロ行ってましたよ。投げられなくなってからは、吹っ切ったというより、仕方ないからバッティングやるかっていう感じでした。

 バッティング、めんどくさかったですからね。詰まったら手が痛いし。フリーバッティングなんて遊びみたいなもの。人より遠く飛ばして、あそこまで飛ばしたよ、って。柵越えするだけならいつでもできたので、スランプなんて考えたこともなかった。そういう意味では、バッティングの怖さに気づくのが遅かった。プロに入って、ようやくわかったんですから」

【次ページ】 「大人になってからでは遅いのか」という危惧。

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