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松本山雅の「3番」を受け継いだ男。
田中隼磨、松田直樹の魂とともに。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byMATSUMOTO YAMAGA F.C.
posted2014/03/14 10:50
松田直樹から引き継いだ3番を背負い、松本の地で走り続ける田中隼磨。盟友は、彼の新たな地での活躍をどう見ているのだろうか。
「緑」は壮観な山々を、「白」はアルプスを覆う雪や混じりけのない自然をイメージさせる。重厚感ある松本山雅のユニホームに、背番号3は実によく映える。
「山雅の3番」は2011年8月、急性心筋梗塞で他界した元日本代表、松田直樹がつけていたことで知られる。クラブにとって特別な番号であることは言うまでもない。欠番にこそしなかったが、一昨年、昨年とずっと「空き」になっていた。
2014年3月2日、J2開幕戦。
乗り込んだアウェー、味の素スタジアムのピッチに「山雅の3番」がいた。センターバックではなく、右ウイングバックに。
ポジションの違いもさることながら、威圧するオーラや圧倒的な存在感という意味でも松田とは異なる。だが、不思議と違和感はなかった。背番号3が思いのほかしっくり来ていた。
東京ヴェルディに勝利すると、その男は握り拳をつくって振り下ろした。熱さのボルテージも控え目だが、松田の姿がちょっとダブって見えた。
試合後、男は言った。
「勝ったことは素直に嬉しいけど、自分としてはまだまだ。3番の重みというものは分かっているつもりだから。マツさんが常に見ていると思ってやっているし、ダメなプレーをしてしまうと天国のマツさんに怒られると思ってやっているんで」
勝利の喜びに浸ることもなく、彼は口許をギュッと引き締めた。
田中隼磨、横浜で松田とともにプレーした男。
田中隼磨、31歳――。
名古屋グランパスでの契約非更新を受け、今季から松本山雅に加わった。地元松本の出身でもある。
'01年に横浜F・マリノスユースからトップチームに昇格し、チームの中心であった松田たちの影響を受けながら成長してきたプレーヤーだ。'04年には主力としてチームのリーグ2連覇に貢献している。無尽蔵のスタミナではJ1随一と言っていいほどだ。
'09年に移籍した名古屋グランパスでもずっとレギュラーを張り、'10年のリーグ優勝を経験している。だが昨シーズン、フィールドプレーヤーの中でただ一人リーグ戦全34試合に先発したものの、契約更新はされなかった。