オリンピックへの道BACK NUMBER
元五輪選手が紛争地帯で獅子奮迅!
井本直歩子が選んだ、第二の人生。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNaoko Imoto
posted2013/12/15 08:01
2009年には、日本版Newsweekの「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた井本直歩子。
初めて会ったのは、13年前、五輪代表選考会で落選してから数日後だった。
2度目のオリンピックに行けないことが分かってわずかな時間なのに率直に胸のうちを語り、そしてうかがえた明晰な思考、まっすぐな意志、そうした根本は、選手から復興支援へと立場を大きく変えた今なお、変わらずにいる。
井本直歩子は競泳の選手として、1996年のアトランタ五輪に出場。4×200mフリーリレーでは4位入賞を果たしている。
'00年に現役を引退し、その後、マンチェスター大大学院で紛争復興支援の修士号を取得。'03年、JICA(国際協力機構)のインターンとしてガーナへ派遣されたのが復興支援活動のスタートとなった。'04年からはシエラレオネ、'05年にはルワンダへ。その後、国連児童基金(ユニセフ)の職員として、'07年秋からはスリランカに赴く。'10年夏には、同年1月の大地震で約22万人の犠牲者が出たハイチへスリランカから直行し、今年10月、帰国した。
プロフィールとして短くまとめたそれぞれの国で過ごした時間の中で、それぞれの重い現実と向き合ってきた。
「目の前には事実が、現実があるわけです」
例えば、10年余りの内戦が'02年に終わったシエラレオネでは、両手のない多くの住民に出会った。敵方の住民に対し、苦痛を与えるためになされたのだ。
ルワンダは1994年に大虐殺が起こった国だ。約100日の間に約100万人におよぶ犠牲者が出たと言われる。隣人が隣人を殺害したケースも珍しくなかった。しかも銃火器よりも山刀や斧などが用いられ、それは子どもにも赤ん坊にも容赦なく向けられた。時間を経ても、人々の記憶に深く刻まれ、心の傷が容易に拭い去られるわけもなかった。
スリランカは、まさに内戦のさなか、周囲が心配する中での赴任だった。
数々のひどい現実と向き合いながら、人々の声に耳を傾け、行動してきた。
自身も、日本にいれば考えられない環境で過ごすことだってあった。ダニだらけのマットレスで眠らざるを得なかったことがあるという話もそのひとつだ。
それでも、こう語る。
「目の前には事実が、現実があるわけです。見れば見るほど、モチベーションになるというか、しっかりしなきゃ、と思う」