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「松坂の同級生」という屈折と誇り。
引退するDeNA小池正晃の野球人生。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2013/10/08 12:20
「9歳になる息子は“辞めないで”って泣いていた。だが、力がないから辞めないといけないと説明した」と引退の決断を語った小池。
先頃、現役引退を表明した小池正晃(DeNA)に、じっくりと話を聞いたのは2008年シーズンが開幕し、1カ月ほど経った頃だった。横浜高校時代のチームメイト、松坂大輔の話を聞くためだった。1998年、エース松坂を擁する横浜高校が甲子園で春夏連覇を達成したとき、小池は主に「1番・ライト」を務めていた。
あれから10年が経過していた。高校卒業と同時にドラフト6位で横浜に入団した小池は、プロ入り10年目のシーズン、二軍にいた。開幕で一軍ベンチを外れたのは5年ぶりのことだった。
「さすがに今、ここにいちゃいけないんですけどね。もちろん焦りはありますよ」
器用な選手でどこでも守れた。だが、ともすれば器用貧乏に陥りがちだった。
「二軍ではピッチャーとキャッチャー以外は全部、守りました。そうやっていつでも使ってもらえる反面、一軍では逆に『最後までとっておきたいから』って出られなかったりしたこともあった。得することも、損することもありましたね」
それでも'05年には129試合に出場し、20本塁打をマークしている。インタビュー直後、6月に外野手が手薄な中日に移籍。'09年には101試合に出場し、'10年、'11年のリーグ優勝に貢献した。
「もう一度松坂と対戦したい」という夢はかなわず。
松坂という偉大な同級生を持ったことによる屈折。それは小池にも当然、あった。
「最初の頃は、何かと“松坂とやっていた小池”みたいな言い方をされるのが嫌だった。プロ入りしてしばらくは松坂のことを取材で聞かれるのも嫌でしたから。引け目がありましたし。偉大すぎて、こっちが勝手に壁をつくっちゃっているところもあって。松坂のことを普通に話せるようになったのは、一軍の舞台でプレーできるようになって、差が少しずつ埋まってきてからですね」
その一方で、そんな松坂とともにプレーしたことに支えられてもいた。
「松坂があれだけがんばってるんだから自分も、という変な意識もあって。そういう点では彼と一緒にできたことは財産になっていた」
小池は'06年の交流戦で一試合だけ、松坂と真剣勝負をしたことがある。しかし「ものすごい意識した」ということもあって、結果は無安打。小池の完敗に終わった。
'08年当時、小池の最大の夢は松坂と再戦することだった。
「次に対戦するときは何とかしたい。僕がメジャーに行くか、あいつが帰ってくるか。それまでは続けないと」
だが、その夢は結局実現しなかった。