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僕は楽天イーグルスの
「初代応援団員」だった。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byTomohiro Okano

posted2013/09/26 10:30

僕は楽天イーグルスの「初代応援団員」だった。<Number Web> photograph by Tomohiro Okano

懸命に声を張り上げる岡野。アナウンサーを志望していただけあって、よく通る声をしている。

 9月。球団初の優勝を目前に控え、満員に膨らんだKスタ宮城のスタンドを眺めながら、岡野寛大は熱い感情が込み上げてくることを感じていた。

 今から8年前。当時フルキャストスタジアム宮城と名乗っていた同じ場所で、大学生だった岡野は全国荒鷲連合会の副団長として楽天ファンの前に立っていた。

「1年目のスタンドを思うと今の応援風景は信じられないですね。僕らはまったくの応援素人の集まりで、いろんな人に助けられながらここまでやってこれたんですよ」

 大阪・藤井寺で生まれ、近鉄ファンとして育った岡野だったが、2004年夏に端を発した球界再編で、近鉄がオリックスと合併することで消滅。仙台に新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。岡野は近鉄の消滅をどうしても受け入れることができず、合併球団ではなく東北の新球団を応援することを決意する。

「気持ちが整理できないまま近鉄が消滅してしまって、すんなりと合併球団も応援するような気持ちになれない。それならば、仙台に新しくできるイーグルスを応援しようと思い、自分がこのチームの為に何かできないかと、インターネットで探していたら、ある方のホームページで『楽天応援団の団員募集』という呼びかけがあるのをたまたま見つけたんです」

まず最初に、「東北魂」の文字が躍る旗を作った。

 HPの募集告知に集まってきた有志は7人。そのほとんどが東京に住む彼らは後に「関東荒鷲会」と名乗る、全員が応援団未経験の素人だった。

「最初の集まりで、発起人の方から『これから応援団を立ち上げて、全国を回って応援したい』という話があったんですけど、正直なところ『全員素人でやれるの?』という感じでした。僕自身が、はじめて壇上に立ったオープン戦で、ホームランボールをファンの人と一緒になって追っかけてしまい、怒られていましたからね(笑)。

 一番最初にやったことは、旗を作ったことかな。別のある方が『この言葉を入れたい』と持って来た案が“東北魂”です。イーグルスという球団は、合併球団の余りものの選手で作られたのかもしれない。だけど、東北にはじめて出来た、東北の人のための、東北の魂を持って作られた球団です。だから東北魂。誰も反対はせず、すんなり決まりました。

 応援歌も近鉄の応援団が合併球団の方でやられる以上、まったく新しいものを作らなければならず、急ごしらえで汎用のテーマと、選手用では唯一ドリフ大爆笑のテーマでロペスのテーマを作りました。『ロ、ロ、ロペスのワンマンショー♪』っていう。だから、開幕当初の“1-9(試合前などに行う1番から9番までの応援歌)”は汎用、汎用、汎用、ロペス、汎用、汎用、汎用、汎用、汎用というものでした。それから開幕まで河川敷で練習をやったんですけど……まぁ、公式戦が始まったらまるで勝手が違いましたね」

【次ページ】 ロッテとの開幕戦、恐怖で涙がでた。

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