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僕は楽天イーグルスの
「初代応援団員」だった。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byTomohiro Okano

posted2013/09/26 10:30

僕は楽天イーグルスの「初代応援団員」だった。<Number Web> photograph by Tomohiro Okano

懸命に声を張り上げる岡野。アナウンサーを志望していただけあって、よく通る声をしている。

仙台は、プロ野球文化が根付いていない場所だった。

「仙台には地元の有志で組織された仙台荒鷲会という応援団があったんです。それを僕らは知らなかったんですよ。それで、初日に『僕らがリードを取るのでついてきてください』と失礼なことを言って怒らせてしまって……結局、応援もバラバラになってしまいました。その後、地元の応援団の人たちにはご挨拶に伺って『一緒にホームを盛り上げていきましょう』と一致団結し、東北荒鷲会となって今に至っているんですけど、最初のうちはそれぞれが好き勝手にやっている状態でした」

 開幕当初、応援団同士も統率が取れていない状態で、お客さんがまとまるはずもなかった。当時、筆者が開幕戦のライトスタンドで観戦した記憶では、前の攻撃時に他の選手が活躍したのに、「いそべ! いそべ!」と名前の通った礒部へのコールが起こり、特に何の活躍もしていないライトの礒部がバツ悪そうに帽子を取って応えたり、イニング間にはじまったウェーブの止め所がわからず、プレイが掛かっても、いつまでもぐるぐるぐるぐる回っている……そんな光景を見たことを覚えている。

「仙台は、それまで他地域では当たり前だったプロ野球文化が根付いていない場所でした。今でも忘れられないことがあります。開幕戦で前に立って『それでは皆さん! 応援するので、立っていただけますかー!』と声を出したら、後ろの席から『おーい! そこに立ってる応援団の兄ちゃん、邪魔だから座ってくれるかー!』って言われてしまったんです(笑)。

ご当地CMソングで、地元ファンの心を掴む。

 当然、応援歌なんて誰も歌えないし、まったく盛り上がらない。1日目が終わった時に、じゃあどうすれば、盛り上がるかと皆で考えたんです。それなら誰もが知っている歌をチャンステーマにしたらどうかということになり、地元出身の仲間に『仙台で誰でも知っている曲は何?』と聞いたら、『“八木山ベニーランド”か“高山書店”のCMソングだろう』という。じゃあ、ベニーランドを替え歌にしようと、5分で完成したんです。その曲は基本的なチャンステーマとして今も使われています」

 地元の人間なら誰でも知っているベニーランドのチャンステーマは狙い通り見事に定着する。その後、中日応援団から山崎武司や中村武志、関川浩一。ヤクルト応援団からは飯田哲也、千葉ロッテ応援団からは酒井忠晴と、それぞれが古巣に所属していた時代の応援歌を「使ってくれ」と申し出があり、汎用まみれの応援歌に光明が差しこむ。また、通常の3・3・7拍子に一個加えた、4・4・8拍子をはじめるなど、イーグルスならではの応援方法も次第に形ができはじめる。

 同時に応援の魅力にのめり込みはじめた岡野は、「関東荒鷲会」唯一の、時間に融通が利く学生団員だったこともあり、大学に履修届を出すことも忘れ全国各地を飛び回る。アナウンサーを志望してトレーニングを積んでいた発声は、いつの間にかスタンドで役に立っていた。

【次ページ】 笛と、太鼓と、トランペットを1人でやった日。

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