フットボール“新語録”BACK NUMBER
ドイツ4部の廣岡太貴が体験した、
バイエルンとの夢のような時間。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2013/08/09 10:30
試合後、グアルディオラと握手をして感極まる廣岡太貴。「幸運を」彼にかけられた言葉を廣岡が忘れることはないだろう。
「ドイツに来て2年目で、バイエルンとやれるなんて考えても いなかった。サッカー人生の中で、すごく大きな経験になりました」
廣岡太貴(ドイツ4部・レーデン)
Jリーグのテストに落ちても、それでもサッカー選手になる目標を諦めなかったからこそ、23歳の日本人MFは生涯忘れ得ぬ試合に出会うことができた。
8月5日、ドイツ杯1回戦のレーデン対バイエルン・ミュンヘンが行なわれ、廣岡太貴は3ボランチのひとりとして90分間フル出場した。「ドイツ4部のチーム」対「CL王者」――。日本に留まっていたら、間違いなく体験できなかったであろうドリームマッチである。
個人の実力差はいかんともしがたく、レーデンは0対5で完敗した。しかしグアルディオラ監督が「前半はすごく難しかった」と振り返ったように、レーデンは組織的な守備でCL王者のパスまわしを分断し続けた。廣岡はロッベンやミュラーと対峙しても粘り強くマークにつき、ほぼ危険なシーンをつくらせなかった。
試合後、廣岡は大きく息を吐き出しながら言った。
「疲れました(笑)。めちゃくちゃ走らされたのでね。頑張って守備をし続けて、ひとつのチャンスをものにするという戦術でした。あれだけ引けば欧州一のバイエルンでも少し難しいのかなと感じました。けど、だからこそもう少し前に攻めたかった。それが悔しいです」
プロテストに不合格、日本から出る決断をした。
でも、と廣岡は続けた。
「この試合は僕に取って宝物。まさかドイツに来て2年目で、バイエルンとやれるなんて考えてもいなかった。サッカー人生の中で、すごく大きな経験になりました」
そもそも廣岡がドイツ行きを考えたのは、大阪体育大学の4年生のときだった。キャプテンとしてチームを引っぱり、総理大臣杯で優勝し、本気でJリーガーを目指していた。しかし、セレッソ大阪やギラヴァンツ北九州にテスト参加するものの不合格。そんなとき大学の恩師を通じて、日本語を話すことができるドイツ人代理人と出会った。
「同級生の副キャプテンはスペインに挑戦したいと言っていて(松澤憲伸。現在スペイン5部でプレー)、そういう仲間からの刺激もあった。将来監督になりたいという考えもあって、ドイツなら指導者ライセンスを取る環境も整っている。それで一度日本から出ることを決断しました」
チャンスはすぐに訪れた。