MLB Column from USABACK NUMBER

ノーヒット・ノーラン左腕ジョン・レスターが乗り越えた「癌」以外の危機 

text by

李啓充

李啓充Kaechoong Lee

PROFILE

photograph byREUTERS/AFLO

posted2008/05/23 00:00

ノーヒット・ノーラン左腕ジョン・レスターが乗り越えた「癌」以外の危機<Number Web> photograph by REUTERS/AFLO

 レッドソックスのジョン・レスター(24歳)が、5月19日の対ロイヤルズ戦で、球団史上18人目となるノーヒット・ノーランを達成した。レスターが癌を克服後、ワールドシリーズ優勝投手になった話は、拙著『怪物と赤い靴下』(扶桑社)にも詳述したが、実は、レスターが大記録を達成するために乗り越えなければならなかった危機は癌だけではなかったので説明しよう。

 レスターが克服しなければならなかった癌以外の危機とは、トレードによる放出の危機だった。しかも、レスターは、放出の危機を、これまですでに2回も経験しているのである。

 まず、2回目の、新しい方の危機から話を始めるが、昨季終了後、ヤンキースとレッドソックスがツインズ(当時)のエース、ヨハン・サンタナの獲得を巡って争った際、レスターは、レッドソックスが交換相手としてオファーした選手の一人だった。レッドソックスが(本当はそんなに欲しくない)サンタナ獲得戦に参加した理由が、ヤンキースのサンタナ獲得を妨害することにあったことは以前にも説明したとおりだが、もし、このとき、トレードされていたとしたら、レスターの投手としての成長が大きく遅れたであろうことは想像に難くない。というのも、たとえばノーヒット・ノーラン達成直後、レスターは、フランコーナ監督に対して「二人目の父親のような存在」と讃えて感謝したが、癌の闘病・リハビリを親身に支えてきたスタッフ・チームメートから離れて新チームに移っていた場合、ここまで順調に力を伸ばすことは難しかったに違いないからである。

 昨年末の2回目の放出の危機では、レスターは、交換相手の「候補」でしかなかったが、2003年の1回目の危機のときは、本当にレッドソックスからトレードで放出されてしまったのだから大変だった。と、こんなことを書くと、「ちょっと待て。レスターはプロ入りしてからずっとレッドソックスの一員、トレードでチームを変わったことなどないはずだ」と、クレームをつけるファンもいるかと思うので、説明しよう。

 2003年12月、レッドソックスとレンジャースの間でマニー・ラミレスとアレックス・ロドリゲスの交換トレードが成立したことは読者も覚えておられるだろうが、実は、レスターは、このときの「史上最大の大型トレード」に含まれていた。「A−ロッドに対してラミレスだけでは不足」とするレンジャースに対し、当時、マイナーリーグの最有望投手だったレスターが「おまけ」としてつけられた2対1のトレードだったのである。この大型トレード、元々レンジャースから出たい一心のA−ロッドが、移籍後の年俸減額に応じたからこそ成立したトレードだったが、「年俸を減らすことはまかりならぬ」とする選手組合の横槍でご破算となり、トレードに出されたはずのレスターも、レッドソックスに残ることになったのだった。

 ちなみに、レンジャースは、メジャー30球団中でも投手を育てることが一番不得意なチーム、もし、この時トレードに出されていたら、レスターの投手としての成長が大きく遅れていたどころか、潰されていた可能性さえあるのだから、人の運命とはわからないものである。レスターの場合、もし、あのとき、選手組合が介入せずレンジャースに移籍していたとしたら、「癌になる」という不運に見舞われたきり、「ワールドシリーズの優勝投手になった上、ノーヒット・ノーラン達成」という幸運には恵まれていなかったかもしれないのだから…。

■関連コラム► ダルビッシュ有、究極の機能美。~ノーヒットノーランはいらない~ (2009年7月1日)
► 新人のノーヒット・ノーランを潰そうとした「投球数警察」。 (2007年9月5日)

関連キーワード
ジョン・レスター
ボストン・レッドソックス

ページトップ