上野広治 「競泳日本代表を革新した男」 ~お家芸復活の舞台裏~

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上野広治

史上最強と謳われたアトランタ五輪でのまさかの惨敗を糧に、水泳連盟は大胆な改革に着手した。目指すは代表のチーム化。
再建を牽引したひとりの男に、揺るがぬ信念の理由を聞く。

 いつだったか、記者会見で聞いた言葉が印象的だった。

「我々はチームとして戦わなければならないんです」

 競泳日本代表の会見の席のことだ。個人競技であるにもかかわらず、なぜチームでなければならないのか。

 競泳日本代表は、2000年のシドニー五輪で銀2、銅2の計4個、'04年のアテネでは金3、銀1、銅4の計8個、'08年の北京でも金2、銅3の計5個のメダルを獲得した。その間に行なわれる世界選手権でも常に一定数のメダルを獲得し、競泳大国といわれるアメリカやオーストラリアに次ぐ地位を確保している。日本競泳は、第二次世界大戦後から'72年のミュンヘン五輪までは多くの大会で複数のメダルを獲得する活躍を見せていたが、その後はメダルを獲れない、あるいは獲れても1つがやっとだった。それと照らしあわせても、躍進を遂げた10年となった。

アトランタで惨敗したのは選手の力量不足が原因ではない。

 この10年が光なら、影と言えるのが'96年のアトランタ五輪である。「史上最強」とうたわれながらメダルなしに終わったのだ。大会前の期待とあまりにも対照的な結果に、「惨敗」と評されるほどだった。史上最強とは、メディアの先走りに過ぎなかったのか。

写真

アトランタでは惨敗した競泳陣。期待された千葉すずはバッシングを一身に浴びる格好に

「そうではない」と言う人物がいる。

「もし、現在の体制のもとにあの選手たちがいれば、アテネ以上にメダルを獲れていたんじゃないでしょうか」

 競泳日本代表監督を務める上野広治である。アトランタの翌年に日本代表ヘッドコーチに就任し、'05年からは監督として再建を担ってきた人物だ。

 ヘッドコーチに就任した上野が目指したのは、「代表チームを本当の意味でチームにすること」であった。上野はアトランタ五輪には参加していない。のちの調査で、失敗の理由をこのように分析した。

「選手、コーチが個々にレースに臨んで毎日はね返された大会だった。コーチとコーチ、選手とコーチ、選手同士、いろいろな面でまとまりを欠いた」

 そこからさまざまな弊害が生じた。

<次ページへ続く>

► 【次ページ】 コーチと選手の間の溝、選手間の対立がもたらす悪影響。

筆者プロフィール

松原孝臣

1967年、東京都生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。著書に『お酒の資格と仕事』『高齢者は社会資源だ』など。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は04年アテネ、08年北京、冬季は02年ソルトレイクシティ、06年トリノと、現地で取材にあたる。


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