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<クロスカントリーの2人のエース> 夏見円&石田正子 「葛藤と一徹」 ~特集:バンクーバーに挑む~ 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShino Seki

posted2009/12/10 10:30

<クロスカントリーの2人のエース> 夏見円&石田正子 「葛藤と一徹」 ~特集:バンクーバーに挑む~<Number Web> photograph by Shino Seki

(右)夏見円(左)石田正子

海外勢との体格や環境の差を乗り越え、日本人としては前人未到の境地に達した2人。さらなる高みを目指し、それぞれ別のアプローチから研鑽を積む姿を追った。

 クロスカントリースキーは、欧州では多くの人々に愛好されるスポーツである。冬になれば、積雪地帯に住む人の日常にあるものといってよいかもしれない。それにともなって、競技への関心、注目も高い。

 日本ではそうではない。

 国際大会では、世界の厚い壁が立ちふさがっていた。1928年のサンモリッツ五輪に初めて日本代表を送り込んだあと、オリンピック、世界選手権、ワールドカップのどの大会でも、優勝も表彰台もないまま長い時間が過ぎていった。成績の影響もあってか、競技や選手への認知度といった点でも、欧州のそれとは大きく違っていた。

 だがこの数年、歴史は変わろうとしている。「日本のクロスカントリー史上初」という言葉を何度も目にする。

 歴史が塗り替わりつつあるのは、夏見円と石田正子、二人の存在あればこそである。

「80年目の快挙」を成し遂げた先駆者、夏見円。

「私、もともとは競技者向きじゃないんですよ。競い合うのが好きじゃなかったんですよね。陸上もやっていたのですが、最後のコーナーにさしかかって押されて1コースの外側から3コースまで弾き飛ばされたことも。接触があるから駅伝のスタートも嫌でした」

 一瞬、アスリートとは感じられないほど柔かい表情で笑う。

 夏見円は、クロスカントリーの数ある種目の中で、だいたい1~2km程度の、クロスカントリーとしては短距離で行なわれるスプリントを得意とする。数名の選手がいっせいにスタートを切って順位を競う、レース形式の種目だ。相手の進路をブロックしたり、どこでスパートをかけるか選手間で駆け引きが行なわれる。競り合いの最たるものだ。

「スプリントに出会って、競技性に目覚めたかもしれないですね。不思議ですけど」

 夏見は、「先駆者的存在」と言われる。

 これまでの競技人生がそれを物語る。

 '02年のソルトレイクシティ五輪に続き、2度目のオリンピックとなった '06年のトリノ五輪チームスプリントでは、福田修子と組み、日本の女子クロスカントリー史上初となる8位入賞を果たした。

 '07年の札幌世界選手権では、スプリントで5位。この時点でオリンピックと世界選手権を通じて史上最高の成績だった。

 '08年2月、スウェーデン・ストックホルムのワールドカップでついに快挙を成し遂げる。3位となり、表彰台に上ったのだ。「(サンモリッツ五輪から)80年目の快挙」と、大々的に報じられた。

【次ページ】 パイオニアであるがゆえの苦難を乗り越えて。

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