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1992 アジア杯優勝戦記夜明けの咆哮。 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

posted2004/07/15 22:13

SPECIAL FEATURES

1992アジア杯優勝戦記夜明けの咆哮。

阿部珠樹=文

text by Tamaki Abe― 

朝倉宏二=写真

photographs by Koji Asakura

 試合がはじまると、日本は7割がたボールを支配した。選手たちの動きは、みな機敏で、活気があり、調整の順調さを物語っていた。しかし、ボールは支配していても、得点機はなかなか訪れなかった。深く引いて守備を固め、ボールを奪うと、すばやくカウンターを仕掛ける。それが対戦相手のUAEの戦術である。だから、ボールを支配しているからといって、日本チームが優勢とはかならずしもいい切れなかった。

 前半は、決定的なシュートを放てずに終える。何度も、何年も見てきた日本代表の戦いが、ここでもくり返されるように思われた。しかし、後半は違った。中盤を完全に支配し、前線の3人が決定的なチャンスを作った。終了間際の43分には、バー直撃のフリーキックと、そのこぼれ球のシュートがあり、どちらがネットを揺らしても不思議ではなかった。試合はスコアなしの引き分けで終わった。

 予選リーグとトーナメントを組み合わせた大会で、初戦に勝ち点を落とさないことは上位進出の絶対条件である。勝つに越したことはないが、それよりも負けないことがより重要だ。今なら、小学生のサッカー部員でも、これぐらいの蘊蓄は傾けるだろう。

 だが、主将の柱谷哲二は引き分けでは納得できなかった。

「当時のぼくたちには、予選リーグから決勝トーナメントと、勝ち上がってゆくための計算だとか、プランなんていうのはなかった。一戦必勝、引き分けは頭に置かず、ただ目の前の試合を勝ってゆくという気持ちでやっていたので、引き分けたから今後はどうだといった冷静な受け止め方はできなかったですね」

 勝利への執念が特別に強かったというのとは少し違う。ひとつの大会をトータルに考えて、ひとつひとつの試合に向かうといった計画性は、一定以上の力があってこそ生まれてくる。当時の日本代表に、大会をトータルでデザインするような経験や実績はなかった。「目の前の試合にとにかく勝つ」というナイーブな姿勢は、そのころの代表チームの力を反映していた。1992年の秋である。

 アジアカップは、いうまでもなくアジアナンバーワンを決める大会だが、日本のサッカー界にとっては縁の薄い大会だった。というよりも、日本のほうがあまり関心を示さない大会だった。日本開催の前に、すでに9回開かれていたが、日本が参加したのはわずかに2回だけで、その他は、予選にすら参加しなかった。前回の'88年に、はじめて予選を突破して本大会に出場したが、フル代表より1ランク下のB代表はグループ5位の惨敗を喫していた。

「何年かごとに、中東のあたりで開かれる大会」

 選手たちの間にすら、その程度の認識しかもたれていなかった。しかし、アジアでチャンピオンになるか、もしくは強豪国と五分にわたりあえなくては、ワールドカップに出場することなどおぼつかない。アジアを抜け出すためにアジアを知る。そのために招致されたのが、'92年のアジアカップだった。

 日本のサッカー界は、翌年に二つの大事業を控えていた。初のプロリーグ、Jリーグのスタートと、'94年ワールドカップアジア予選である。プロリーグを成功させ、その勢いでワールドカップ予選を勝ち抜く。そのためには、まず、前哨戦となる秋のアジアカップで、好成績をあげることが絶対に必要だった。

 アジアカップの半年前、代表チームの監督に、ハンス・オフトが就任した。はじめての外国人監督だった。オフトは「トライアングル(パス交換のときの第三者の動き)」「コーチング(声による指示)」「アイコンタクト(黙視でのコミュニケーション)」といったユース世代でも聞き飽きたような基本中の基本をもう一度徹底させ、一人ひとりの役割を明確にし、コンパクトでシンプルなサッカーを展開しようとした。あまりにも基本的なやり方には、選手の中から反発もあり、招集されたメンバーが離脱しそうになる場面もあったが、ヨーロッパ遠征で好成績をあげ、ユベントスとの親善試合で引き分け、8月、東アジアの4カ国の間で争われたダイナスティカップで優勝するというように、着実に実績をあげたことで、不協和音は次第に静まり、チームとしての熟成度は急速に増してきていた。アジアカップは、上げ潮に乗って臨む大会だった。

 だが、大会のステータスの高さ、日本のサッカー界に与える影響の大きさに比べて、周囲の反応は静かなものだった。日本の初戦、対UAE戦はメイン会場の広島ビッグアーチではなく、尾道市のびんご広域運動公園で行われた。当日の観客は9000人だった。かつてのアジアカップが、日本のサッカー界にとって遠い大会だったように、多くの平均的な日本人にとって、このときのアジアカップは、まだ「何かやっている」程度の遠い試合だったのだ。

「今日は軽いなあ」

 予選リーグ2戦目の北朝鮮との試合を前に、アップをはじめた都並敏史は、これまでに感じたことのないような感覚を味わっていた。体が軽くて、「どこまで走っても疲れない」ような感じなのだ。

「オレの選手生活のピークかもしれないな」

 そんなことを考えながら、試合に向かった。8月のダイナスティカップは調子が悪く、そのことで批判を受けていた。見てろよ。もっとやれるんだ。警告の累積で第1戦のUAE戦を欠場したこともあり、試合への意欲が圧縮空気のように体に充満してくるのがわかった。

 試合は、北朝鮮が激しいプレスをかけて攻勢に出て、日本が守勢に回る形だったが、都並は、自分のコンディションのよさもあって、苦しさはあまり感じなかった。

 しかし、主将の柱谷は都並と違った感触を持っていた。

「北朝鮮にはダイナスティカップで4対1と圧勝していました。だから少し軽く見たようなところがあったかもしれない。試合の入りで守勢に回り、前半はそれが修正できなかった」

 前半29分、DFのマークのずれを突かれ、北朝鮮に先制を許す。だが、先制されたことでDFラインは引き締まり、マークも安定した。相手がたたみかけようとしても、しっかり跳ね返し、ラインを上げて、都並などがカウンターを仕掛ける。DFの選手たちにとっては、「やっていて面白い試合」(柱谷)だった。後半に入ると、日本は徐々に攻勢に転じた。だが、三浦知良のPK失敗などでゴールは遠い。後半33分、オフトは北澤豪に代えて中山雅史を投入した。ダイナスティカップの決勝、韓国との試合で途中交代で投入されるや、5分で同点ゴールを決めた中山は、徐々に「切り札」視されはじめていた。

 その中山が、交代から2分後、カズのCKに頭で合わせた。ファーストタッチのゴールだった。試合は、その後、両チームとも得点なく、引き分けで終わった。

 同じ引き分けでも、追いついたのと追いつかれたのとでは、選手の受け止め方は違う。前半の守勢を盛り返し、きわどいところで追いついた試合内容は、日本チームの士気を高めた。

 しかし、2試合で得た勝ち点は2。決勝トーナメントに進むには、つぎの試合をなんとしても勝たなければならない。相手は、サウジアラビアと並んで優勝候補と目されていたイランである。しかも、イランはすでに勝ち点3をあげ、日本との試合では引き分けさえすれば決勝トーナメントに進める。立場は断然イランが有利だった。

 大会の前、日本代表に対する期待は決して高いとはいえなかった。何年も国際大会でめぼしい実績をあげていないのだから当然である。

 主将の柱谷は予選リーグ突破が最低の義務だと思っていたが、だからといって、簡単に負けるとも思っていなかった。

「負けたらどうしようという感じはなかった。日本代表の評価はかなり下だったから、負けてもそれより下がることはない。逆に勝てば勝つほど評価が上がる。やりがいがありましたね」

 都並の言葉を借りれば「失うものは何もない」立場の気楽さが、これまで歯が立たなかった相手との善戦につながっていたともいえる。しかし、3戦目は、上に進むために勝たねばならない試合、引き分けでは意味のない試合である。

「決勝トーナメントにさえ行けば、あとはなんとかなる。来年始まるJリーグを成功させるためにも、絶対勝ちたい」

 イラン戦を前に、ラモス瑠偉はそうやって奥歯を噛みしめたが、それはすべてのメンバーの共通の気持ちだった。もちろん、気持ちだけでは勝負は勝ち抜けない。

「引いて、守って、ミスを突いてカウンター。こっちをいらいらさせるようなボールのまわし方をしてくるだろう」

 試合前、ラモスはそんな予想を立てた。

「日本はスピードが持ち味だから、攻めてもらったほうがいい。だから楽な試合にはならないだろう。ただ、前半に得点できれば、相手は攻めてくるはずだからチャンスは大きくなる。前半に決められれば」

 その前半、ラモスの姿はピッチになかった。腹痛で体調を崩し、先発を外れていたのだ。ラモスの目の前で展開する前半は、予想通りのものだった。イランは守備を固め、得点よりも、「負けない試合」を狙っているのがありありとわかった。

 そうした試合ぶりを見て、柱谷は複雑な気持ちだった。

「何年か前の日本相手なら、イランはどんな立場でも攻めてきたでしょう。圧倒しようとしたはずです。ところが、このときはそうじゃなかった。だから、日本の力が認められたともいえた。でも、試合に勝つには攻めてきてもらったほうがありがたいですから」

 前半、都並のサイド攻撃などを軸に攻めたが、ゴールにはいたらない。後半に入っても、イランが守りを固める試合のトーンは変らなかった。痺れを切らしたように、オフトは23分、中盤の北澤と吉田光範をベンチに下げ、ラモスと中山を投入した。FWは先発のカズと高木琢也に中山が加わり3枚。あとのない攻めの形である。

(以下、Number606号へ)

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