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『ふたつの東京五輪』 第6回 「日本の威信をかけた戦い(1)」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byPHOTO KISHIMOTO

posted2009/07/23 11:30

『ふたつの東京五輪』 第6回 「日本の威信をかけた戦い(1)」<Number Web> photograph by PHOTO KISHIMOTO

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 自国開催に奮起した日本選手団の活躍は、計29個のメダル獲得という予想以上の結果につながった。「ニッポン、ここにあり」を世界に知らしめた一方、国民の期待を一身に背負いつつ、惜しくも敗れた選手がいた……。
若き日のカメラマン岸本健が間近に目撃した、メダルにかける選手たちの思い。

 10月10日の開会式の翌日、競技が各会場でスタートしました。10月24日の閉幕までに、日本は金メダル16、銀メダル5、銅メダル8と、空前の好成績をおさめることになりました。

 前評判では、これほどメダルを獲れるとは思われていませんでした。にもかかわらず、予想外の結果を残すことができたのは、地元での開催にかける選手やコーチ、関係者の人々の努力と熱意の成果だったと思います。

大躍進を遂げた「八田イズム」のレスリング。

 東京オリンピックで印象に残る競技といえば、まずはレスリングが思い浮かびます。レスリングは第二次世界大戦前、1924年のパリ・オリンピックで銅メダルを獲得していましたが、世界の強豪として知られるようになったのは、戦後のことです。1952年のヘルシンキで初めて金メダルを獲ると、1956年のメルボルンでは金メダルを2個、続くローマでは銀メダル1個に終わりましたが、東京では金メダルを5個、銅メダルを1個と、大躍進を遂げることになりました。

写真

猛練習に加え独特の精神鍛錬を行なう八田の強化方法は「八田イズム」と呼ばれた。写真は八田の自宅での光景
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 その根底にあったのは、日本レスリング協会会長を戦後から長年にわたり務めた八田一朗さんの強化策です。その練習方法は、「八田イズム」と言われることもありました。例えば、ビニール袋を顔にかぶって吸える酸素量を少なくして、「平地での高地練習」を行なったり、ライオンとにらめっこして精神力を養ったり、奇抜にも思えるユニークな練習、そして、他に類を見ない猛烈な練習が特徴としてあげられると思います。

 精神面の鍛錬がクローズアップされた八田イズムですが、ほかにも大きな特徴がありました。レスリングの選手たちはみんな国際人で、語学も堪能だったのです。八田さんは、選手を積極的に海外に行かせた人です。その影響からか、選手が自ら海外へ渡ることもありました。お金がない中でも、新潟からバイカル号という船でシベリアに渡り、シベリア鉄道でヨーロッパへ向かった選手もいたほどです。

 サッカーなどの競技で、「レベルを上げるためには海外経験が大切」と、海外移籍を模索することは多いですね。レスリングは、数十年前にすでに実行していたのです。

渡辺選手の攻撃の正確さは「スイス時計」!?

 金メダルを獲得した選手の中でも、際立って強かったのは、フリースタイル・フェザー級で金メダルを獲得した渡辺長武選手です。あまりの強さについたあだ名は「スイス時計」です。正確無比と言われていたスイスの時計のように、正確に技をかけることができたからです。

 渡辺選手は、189連勝という偉大な記録を持っています。記録が止まったのは、実は1987年のことです。渡辺選手は一度は引退したものの、1988年のソウルオリンピック出場を目指しカムバックしました。そして1987年の全日本社会人選手権にエントリーしたのですが、3回戦で敗れ、連勝がストップしたのです。

 それにしても、引退して20年近くを経てカムバックするというのもすごいことだと思います。

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