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挫折と復活の野球人生。田中幸雄、2000本達成へ。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byHideki Sugiyama

posted2007/05/17 00:00

挫折と復活の野球人生。田中幸雄、2000本達成へ。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

 日本ハムの田中幸雄が、2000本安打達成を目前に控えている(本稿執筆時点であと6本)。同期の清原和博(オリックス)が3年前に達成したことを考えると、ずいぶんと遅く見えるが、怪我を乗り越えた末の偉業であることは間違いない。

 初めて田中を見たのは、'84年夏の甲子園宮崎県予選だった。後に南海に1位指名された都城高の左腕投手、田口竜二を見に行ったのだが、遊撃を守っていた2年生に目が留まった。スカウトたちに聞けば、「強肩でパワーがあり来年のドラフト候補」という。言葉通り田中は、翌年のドラフトで日ハムから3位で指名された。清原を1位で獲った根本陸夫(当時西武管理部長)が、「あいつは秘密兵器だった」と悔やんでいたのを思い出す。

 入団当時の監督は、高田繁(現日ハムGM)だった。高田は、主力の高代延博(現中日コーチ)を放出してまで若い田中を育てようとした。田中も期待に応え、入団3年目から4年連続で全試合に出場。順調に成長を遂げた。しかし'92年、右肩痛を患いシーズンを棒に振る。絶頂からの挫折、これが長い現役生活を送る上での転機となった。

 田中の復帰を助けたのは、翌年に監督に就任した大沢啓二である。「オメエと心中だ」と言って使い続けてくれた。田中は当時をこんなふうに語っている。

 「主役を張っていた時代にはわからなかったことが、少しわかるようになった」

 44年ぶりの日本一を果たした昨年は、グラウンド上のみならず、精神面でも貢献した。ヒルマン監督の起用法について選手から不満が出たときには、「チャンスはこの先いつ来るかわからない。優勝を経験するのとしないのとでは、引退した後が全然違う」と言って選手たちを激励した。高田GMは、そんな田中の姿をしっかりと見ていた。球団は若返りを図り、リストラを急いでいたが、「記録は日ハムで作ってもらおう」と心に決めた。

 田中は「1本打つとみんなが喜んでくれるのでジーンとくる」と言う。ワキ役になってから、チーム全体のことを考えられるようになった。だからこそ周囲も記録達成を後押ししてくれる。田中が言うところの「人と環境に恵まれた」生え抜き人生。いま、その集大成を迎えようとしている。

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