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ノーマーク狩野恵輔が虎の救世主となるまで。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2007/05/31 00:00

 2000年のドラフト会議。当時阪神の監督だった野村克也は、高卒捕手、狩野恵輔を3位で指名するという球団の方針に難色を示していた。しかし、最後には「キャッチャーはツブしが効く。使いものにならなければブルペン捕手、捕手の立場でバッティングを考えられるならコンバートしても役に立つ」という自論を後ろ盾に、ようやく首を縦に振ったのである。

 そんな経緯で入団したから、群馬・前橋工時代に通算25ホーマー、群馬県選抜の主将という狩野の肩書きも、野村にはさして響かなかった。強いて言えば狩野が愛読書に野村の『一流の条件』をあげていたことを喜んだぐらいか。

 しかし、二軍打撃コーチ、水谷実雄との二人三脚で、バッティング改造に取り組んだことが結果につながる。昨季、ウエスタンリーグで首位打者を獲得。入団当時の二軍監督が、狩野の思い切りのよさを評価していた岡田彰布だったことも幸いした。今春、一軍キャンプに参加することになり、狩野はこう言った。

 「期待されているのは肌で感じます。7年目の今年が勝負。いつまでも待ってはくれないでしょう」

 言葉通り狩野は、なりふり構わず正捕手の矢野輝弘に弟子入りを志願し、背番号も「もう後がない」という意味を込め、「63」から「99」に変えた。そして自身初となる開幕一軍を勝ち得たのだった。

 そんな狩野に出番が回ってきたのは、4月20日の甲子園だった。延長12回2死満塁。巨人の守護神、豊田清から放ったプロ初ヒットがサヨナラ打となった。その後は今まで燻っていたのがウソのように打ちまくった。翌21日にはスタメンマスクで初アーチをかけると、22日にも本塁打を打って、開幕から調子のあがらないチームの救世主となっていた。

 岡田監督は、泥沼の9連敗を喫した後、38歳の矢野に代えて狩野を先発に定着させた。今後、首位争いとなれば、やはりベテランの存在が必要になる。それまでにいかにアピールするか。ここが狩野の勝負どころだ。

 岡田監督は、狩野の打撃に期待し、交流戦ではスタメンDHで使うと語った。野村監督が言った「捕手の立場で打席に入れば役に立つ」を、今こそ発揮する時が来た。

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