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歴代監督が唸る練習の虫。石井琢朗、名球会入り。 

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永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

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photograph byHideki Sugiyama

posted2006/05/25 00:00

歴代監督が唸る練習の虫。石井琢朗、名球会入り。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

 史上34人目の2000本安打を確実にした横浜・石井琢朗(5月10日現在)。入団はドラフト外、投手としてである。足利工高時代は、ノーヒットノーランを2度達成し、甲子園にも出場するなど、栃木球界ではその名を知らぬ者はいないピッチャーだった。

 プロ入り後、イースタンリーグの最優秀防御率を獲得。さらに一軍でも、19歳にしていきなり初勝利をあげ、2年目にはジュニアオールスター出場を果たした。しかし、以降は勝ち星に恵まれなかった。

 通算1勝4敗という成績にあえいでいた3年目に野手転向を決断。忠徳の名を琢朗に変え、心機一転を図った。秋にはポジションを奪う。翌年から我慢して使い続けたのは、当時の監督、近藤昭仁(現巨人ヘッドコーチ)だ。投手出身で遊撃手に転向した選手には、松井稼頭央(メッツ)や川相昌弘(中日)がいるが、近藤の目には「石井の足の速さと肩の強さ、そして練習好きは群を抜いている」と映った。「塁に出たらとにかく走らせた」という近藤野球に育てられ、'93 年には盗塁王を獲得する。

 打者として開花したのは、権藤博監督を擁して日本一に輝いた'98年。権藤は「門限なし、ミーティングなし、夜間練習なし」のキャンプを打ち出したが、理由の一つに、チームリーダーに成長した石井の練習好きをあげていた。石井がお手本となっていれば大丈夫、ということだろう。権藤はこう言った。「宿舎の窓から室内練習場を見ると、夜9時を過ぎても必ず明かりが灯っている。タクがやっているなと思うと、安心して飲みに出かけられた」

 その年の日本シリーズ。西武・西口の2球目に「自分の野球のすべてと思って狙っていた」というバントヒットで出塁するとすかさず盗塁。このプレーがシリーズの流れを決め、日本一につながった。

 あれから8年。'98年以上の成績は残せていない。しかし、今年の宜野湾キャンプでは違った。牛島和彦監督が「若い連中の倍以上は練習をしている」と言うほど元気だった。

「若手がポジションを奪い取るまで、絶対にこっちから譲るつもりはない。自分の生活が大事ですから」

 プロ意識を全面に出す石井。もう一花咲かせる可能性は、十分にある。

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