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濱中おさむと岡田監督、選手と指導者との絆。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2005/06/23 00:00

 選手とコーチとの信頼関係は、苦しい時でも行動を共にしてくれたという経験から生まれる。イチロー(マリナーズ)はオリックス時代のコーチ、河村健一郎に全幅の信頼を置いたきっかけを「門限を破って遊びに行ったのに黙って帰りを寮で待っていてくれた時」と言った。'00年に首位打者を獲った金城龍彦(横浜)の成長は、二軍時代に苦楽を共にした田代富雄(現一軍打撃コーチ)との関係が全て。「今の自分があるのは二人三脚でやって来たから」と断言する。荒川博の家に連日通って、一本足打法を築き上げた王貞治(ソフトバンク監督)は「二軍時代から一緒に育ってきて、共に一軍に上がるのが理想だろうね」と言う。だから二軍監督の秋山幸二には「江川智晃、定岡卓摩が力を付けて一軍に上がってきた時、一緒に一軍に来い」と言っている。

 今、そんないい関係にあるのが、阪神・岡田彰布監督と濱中おさむである。星野仙一前監督時代、濱中は当時の田淵幸一コーチより“うねり打法”を伝授され、4番候補として脚光を浴びていた。だが、'02年の終盤に左手骨折で戦線を離脱すると、翌年に右肩脱臼、'04年には再手術とケガに悩まされることになる。その間、私生活でも離婚。一から出直すために背番号を掛布雅之が付けていた“31”に変えて出直しに挑むことになった。

 そんな濱中に手を差し伸べたのが、二軍当時にずっと打撃指導をしていた岡田監督だ。「ともかくこっちが結構ですと言うまで、最後まで付きあってくれた」と濱中は言う。「選手って、マスコミの前とか人が見ている前で教えたがる人より、陰で一生懸命やってくれる人に付いていきたくなるじゃないですか」。だから濱中は、交流戦開始に合わせて一軍に上がった時「昔のように厳しく教えて下さい」と一番先に岡田監督に頭を下げた。復帰第1戦となった5月6日の日ハム戦、指名打者で出場するといきなり決勝打。その後も結果を出し続けている。

 「交流戦がなければ、こんなに早くチャンスは来なかった」と喜ぶ濱中に、岡田監督はこう言った。「全てが順調に来ているとわからない事も、いろいろあってわかる事もある。直球だけしか知らないより変化球もわかった方がいいから」。昔を知る人が見守っている限り、濱中はグラウンドに立つのが嬉しくてならない。

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