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磐田の“苦闘”からJクラブは何を学ぶか。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byToshiya Kondo

posted2009/01/06 03:45

磐田の“苦闘”からJクラブは何を学ぶか。<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

 今季限りのJ1、J2の入れ替え戦を制したのはジュビロ磐田だった。

 アウェーの第1戦で貴重な同点弾を決めた入団2年目の松浦拓弥が、ホームにベガルタ仙台を迎えた第2戦でも2ゴールを奪い、防戦に回った終了間際は川口能活が顔面でブロックするなど全員が体を張って逃げ切った。5年にわたって数々のドラマを生んできた入れ替え戦のフィナーレにふさわしい激闘であった。

 3年連続でJ2チームが勝っていただけに、磐田の喜びようは言うまでもない。試合後の守護神はピッチに顔をうずめて泣いたほどだ。しかし、喜びに浸る時間はそう長くはなかった。川口は自戒をこめて言った。

 「勝ち慣れている雰囲気があったのかもしれないし、危機感が足りなかったのかもしれない。もっとハングリーな気持ちを持つ必要がある」

 過去に3度年間王者となった磐田は今季、まさかの低迷を続け、クラブ史上最低の年間16位でシーズンを終えた。ケガ人が多かったのは事実だし、川口が言ったように選手側に危機感の欠如があったのかもしれない。だが、ここ数年のフロントの“迷走ぶり”にこそ一番の原因があったように思えてならない。

 '06年に指揮を託したブラジル人監督のアジウソンは相手を研究して戦術やメンバーを入れ替えるリアクションサッカーを持ち込んだが、成績不振を理由に '07年9月に解任された。次にトップチームのコーチだった内山篤が昇格すると、アジウソンとは違い、黄金期を築いたアクションサッカーへの回帰を目指す。その内山も結果を残せず、'08年9月に招聘したのが、残留のため守備的な戦術を用いたハンス・オフトである。いずれも磐田のサッカーをよく知るOB指揮官とはいえ、スタイルそのものがコロコロと変わってしまった印象は否めない。フロントと現場が方針を徹底できていたのか疑問が残る。

 対照的に、かつて磐田と2強時代を築いた鹿島アントラーズは今季2連覇を達成。'03年から4年間無冠の時期があっても、トニーニョ・セレーゾに6年間の長期政権を委ねたことがキーポイントであった。鹿島のある幹部はこう語っていたものだ。

 「短いスパンだと、監督の教えなどなかなか定着するものではない。長くやってもらうためにも、クラブの方針を監督に理解してもらい、監督からも意見を聞くコミュニケーション作業が大切になる」

 トニーニョ・セレーゾは居残りで若手を鍛え上げる熱血漢だった。フロントはその点を評価し、チームの底上げを重視した。中長期計画が描けていたからこそ、今の復活がある。

 フロントの問題は、わずか1年でJ2に降格した東京ヴェルディにも感じたことだ。経済的な問題はあるにせよ、今季獲得してずっとスタメンで起用してきた福西崇史、土肥洋一に1年限りで“戦力外通告”を出すようでは、将来的なビジョンが描けていたとは言えまい。

 今季旋風を起こした名古屋グランパス、大分トリニータにしても、名門の不振を対岸の火事にしてはいけない。将来を見据えてフロントと現場が一致団結しなければ、一瞬の栄華に終わってしまうだろう。

 輝かしい実績を築き上げてきた磐田にとっては、残留争いに巻き込まれた今季の屈辱を、目覚めるきっかけにしなくてはならない。退任するオフトも「ここ5年で少しずつチーム力が低下している」と警鐘を鳴らす。フロントがしっかりしたビジョンを早急に示さなければ、常勝軍団復活の日は遠い。

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