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監督は車イス、コーチはカメラマン。
ブリオベッカ浦安、“J5”の挑戦劇。

posted2018/01/28 11:30

 
監督は車イス、コーチはカメラマン。ブリオベッカ浦安、“J5”の挑戦劇。<Number Web> photograph by Kei Totsuka

ブリオベッカ浦安の練習試合の1コマ。車イスでの指導姿は見慣れないが、指導者の力はそんな部分では問われない。

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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Kei Totsuka

 日本だけでなく世界的にも異色と言っていいコンビが、2018年のサッカー界に誕生した。

 関東リーグ1部のブリオベッカ浦安が、車イスの監督と元スポーツカメラマンのコーチのもとで、2018年シーズンを迎えたのだ。

 監督の羽中田昌(はちゅうだ・まさし)は、1980年代前半の高校サッカーのスター選手だった。将来の日本代表入りを期待されていた逸材は不慮の事故で選手生命を絶たれるが、'93年のJリーグ開幕を契機に指導者への道を志す。

 '95年には、ヨハン・クライフが監督を務めるFCバルセロナのサッカーを体感するために、妻のまゆみとともにスペインへ留学した。クライフは少年時代からの羽中田の憧れであり、彼のサッカー観にできるだけ近くで触れたいとの思いが渡航の原動力となった。

 現地では聴講生の立場でコーチングスクールへ通い、帰国後に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。監督として四国リーグ当時のカマタマーレ讃岐を皮切りに奈良クラブ、東京23FCと、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を目ざす立場のクラブを率いてきた。

コーチには、元編集者・カメラマンの鈴井智彦。

 自身4チーム目となるブリオベッカ浦安の監督就任にあたって、羽中田はバルセロナ留学当時からの知人にコーチ就任を打診する。大分トリニータU-18監督だった鈴井智彦である。

 東海大学サッカー部OBの鈴井は、サッカー専門誌の編集者を経てフリーのスポーツカメラマンとなり、'95年から2008年までバルセロナで過ごした。ハンブルガーSVでプレーしていた高原直泰の写真などで『Number』の表紙を飾ったこともあったが、帰国後はサッカー指導者へ転身する。

 JFL当時のFC琉球を起点にブラウブリッツ秋田U-18監督、J3当時の栃木SCのトップチームコーチを経て、'17年は大分U-18の監督を務めていた。指導者ライセンスも、S級に次ぐA級を保持している。

【次ページ】 「やりたいサッカーの根本はバルサ」という共通点。

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