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3年春にベールを脱いだ“元祖”怪物。
「5回戦った男」が語る江川卓のヤバさ。
posted2017/03/22 17:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
BUNGEISHUNJU
怪物・江川卓が初めて甲子園の舞台に姿を現したのは、1973年、高3春の選抜大会だった。
60奪三振は現在も選抜大会記録。準決勝の広島商に点を与えるまで、前年度の新チーム発足から数えて139イニング連続無失点。全国の並み居る強豪を相手にしても、怪物の直球は猛威を振るった――。
そんな晴れ舞台よりも少し前のこと。地元・栃木で、江川率いる作新学院と5回もの試合を経験した男がいた。同地区の烏山高で、1年夏から遊撃のスタメンを務めた棚橋誠一郎だ。2人は同学年で、怪物を倒さない限り、烏山が甲子園に進むことはできなかった。
江川との最初の出会いは中3の春だった。
初の対戦は1年生5月の練習試合。9回にリリーフで江川が登板した。
「ずっと打ちたかった」という棚橋は、見事ヒット。
「ずっと」というのは、その約1年前に強烈な出会いがあったからだった。
中3の春、県の有力選手を集めた強化合宿でのこと。その中に、静岡から栃木の小山中に転校してきたばかりの江川がいた。
「ピッチングを始めたら騒然としましたよ。打者が誰もかすりもしない。講師に日大の監督も来ていたんだけど、目をまん丸くして、“君は何者だ!”っていってね」
2度目の対戦は、1年生7月、夏の県予選。この試合で、烏山高は1年生だった江川に完全試合をくらう。
「この頃は全球全力投球だったんじゃないかな。その後、彼はペース配分がうまいとか手抜きとか言われるようになったけどね」
棚橋は6番遊撃で出場し、三ゴロ、三振、三振。
手も足も出なかった。