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清原和博と渡辺智男。
果たせなかった“約束”。
posted2017/03/17 17:20
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Katsuro Okazawa
1985年、春のセンバツ準決勝。3年生となった清原和博と桑田真澄らを擁する優勝候補PL学園に初出場の高知・伊野商が挑んだ。伊野商のエース渡辺智男が4番・清原から3三振を奪うなどKKを完全に封じ、3-1で勝利したこの試合は、高校野球史に残る“ジャイアントキリング“として、いまなお語り継がれている。そして、その年の夏、そのままの勢いでセンバツ優勝を果たした伊野商とPL学園の再戦を誰もが待ち望んでいた――。
清原「次は打ったるから、絶対に甲子園に出てこい」
1985年の初夏、伊野商のエース渡辺智男のもとにメッセージが届いた。PL学園の4番清原和博からだった。
「次は打ったるから、絶対に甲子園に出てこい」
その年の春、センバツ準決勝で渡辺は清原から3三振を奪い、PL学園を倒した。無名の県立校がKK擁する横綱を破った。衝撃のニュースは全国を駆け巡り、そのまま初出場初優勝を成し遂げた伊野商と渡辺の名は一躍、誰もが知るところとなった。
つまり、清原は「果し状」を送ってきたのだ。新聞記者から聞かされたこの伝言に対し、渡辺はこう答えた。
「夏は暑いから。もういいですよ」
本人をよく知るチームメートからすれば、これはいかにも渡辺らしい。中学生の頃に右肘を壊した影響で野球を辞めるつもりだった渡辺は周囲から見ると、あまりに無欲だった。よく言えば力みがなく、悪く言えば諦めが漂っていた。
ただ渡辺によれば、この時の言葉は本心ではなく、照れ隠しだったという。ところが翌日、スポーツ新聞に大きくこの発言が取り上げられてしまったのだ。
「あれには参りましたね。まったくそんなことは思っていなかったですし、それが新聞に載るなんて思わずに言ったことでしたから」