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欧州クラブに挑戦する18歳の光と影。
渡邊凌磨、ブンデスでの今を語る。 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2017/02/28 07:00

欧州クラブに挑戦する18歳の光と影。渡邊凌磨、ブンデスでの今を語る。<Number Web> photograph by Takahito Ando

インゴルシュタットは2004年に誕生した新しいクラブ。昨季から初めて1部で戦うことになったこの若いチームで、渡邊は居場所を見つけることができるか?

なぜ急転直下、欧州クラブへ行けるようになったのか?

 高校選手権での活躍により日本高校選抜に選ばれた彼は、大学入学早々となる4月上旬、デュッセルドルフ国際ユース大会に出場。このチームで10番を託された渡邊は、エースとして大活躍し、決勝トーナメント進出の原動力となった。これがヨーロッパのスカウトの目に留まることとなったのだ。

「山田耕介監督(前橋育英高校サッカー部監督)が僕らの1年上の代の高校選抜の監督としてヨーロッパ遠征に行っていて、『あそこできちんとアピールすれば、海外にも行けるし、オファーも来る』と僕達に言ってくれていたんです。だから、『絶対にここでアピールしよう』と思っていました」

 さらに翌月の5月には『NIKE MOST WANTED/グローバルファイナル』という、ナイキの世界的な若手発掘のプロジェクトに参加すると、見事に合格。合格者に与えられる「ナイキアカデミー」入りする権利こそ行使しなかったが、結局、ブンデスリーガ1部のインゴルシュタットからU-23チームとしてのオファーが来ることで、自らの力でチャンスを引き寄せる結果となった。

大学を辞めて、まったく保証のない欧州クラブへ。

 大学を辞めての海外挑戦。当然、入学したばかりの彼がこうした行動をとったことで、様々な周囲の軋轢があったことは想像に難くない。しかし、山田監督を始め、周りの大人達は理解を示し、彼は夢を実現させた。

「人生すべてを懸ける覚悟でこっちに来た。インゴルシュタットのU-23チームからのスタートで、トップに上がれる保証は一切無かったけど。そのままU-23のチームで終わったり、途中で5部、6部に移籍する可能性だってあった。だからこそ、本物の覚悟が必要だった。すべての退路を断ってこっちに来たつもりです。山田監督、古賀聡監督(早稲田大学ア式蹴球部)には本当に感謝しています。こっちに来ることによって、みんなに迷惑をかけたんですから。親にも迷惑をかけてます。だからこそ、ここで結果を残したい」

 不退転の覚悟。

 これを原動力に彼はヨーロッパでの一歩を踏み出した。そして、気が付けば1年半ほどの時間をドイツで過ごしていた。

【次ページ】 海外で1人になって、徹底的に自分と向き合った。

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渡邊凌磨
前橋育英高校
インゴルシュタット

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