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田中隼磨が抗った壮絶な引退危機。
松本山雅ファンの声援が“熱”の源。
posted2016/12/14 11:30
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
引退の危機は、どこへ行ったのやら。
松本山雅の背番号3田中隼磨、34歳――。
リーグ最終節の横浜FC戦に勝利した11月20日、松本山雅は勝ち点「84」をマークしながら3位で昇格プレーオフに回ることになった。
「大切なのは、みんながどう気持ちを切り替えていけるかだから。そこはベテランである自分の仕事。俺は新しいトーナメントに出るものだと捉えているから。まあ頑張るよ。絶対に昇格してみせるよ」
率先して試合直後から切り替えようとしている彼だが、5カ月前はベッドの上にいた。
意志の強い彼らしい言葉を聞くと、アルウィンのピッチに立てない可能性があった時の記憶が薄らいでいく。チームを引っ張ろうとする彼の日常を実感できたことが、そうさせていた。
両目に眼帯で、一日中うつ伏せに。
夏の気配が漂う6月、田中は右眼裂孔原性網膜剥離と診断された。
右目はほぼ見えない状態。医師から「サッカーどころではない」と深刻な病状を伝えられ、緊急手術に踏み切った。だが、手術が成功したからといって、ピッチに戻れるわけではなかった。
術後2週間は一日中、ベッドでうつ伏せになっていなければならなかった。
目を動かしてはならない。体を動かしてはならない。
両目には眼帯をつけており、光を感じることもできない。痛みも強い。不安に駆られ、ほとんどの人が耐えられないという。だが田中はじっと耐えた。家族のサポートを受けながら、練習よりもよっぽどハードな「じっとする」をやり遂げた。
退院後に彼はこう話してくれた。
「とにかく術後が大切なんだとお医者さんには言われました。正直つらかったですよ、動いちゃいけないんだから。なぜ頑張れたかと言うと、目を回復させたい、また山雅でサッカーをやりたいという思いがあったから。
足のケガであれば、リハビリをやることで『きょうはこの筋肉を動かせたな』とか回復に近づいている実感が持てるし、気晴らしにもなる。でも目の場合は実感もなければ、気晴らしにもならない。じっと安静にしておくことが回復への一番の道だと言われれば、辛いけどそうやるしかなかった」