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侍ジャパンに漂う“違和感”の正体。
プロ選手がアマ精神で戦うねじれ。

posted2016/11/23 07:00

 
侍ジャパンに漂う“違和感”の正体。プロ選手がアマ精神で戦うねじれ。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

プロ野球選手の独特の風貌は、今でも時々話題にあがる。高校野球の独特さとは真逆の意味で、こちらもやはり独特なものだ。

text by

堀井憲一郎

堀井憲一郎Kenichiro Horii

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photograph by

Naoya Sanuki

 侍ジャパンが、ワールド・ベースボール・クラシックに向け、動き出した。

 日本でもっとも野球のうまい選手たちによるナショナルチームが結成され、世界一をめざして戦う世界大会である。

 ただ、常に何か違和感がつきまとう。

 まず、大会そのものが、よくわからない。

 本当に野球の世界一を決める大会とは、言えない。サッカーのワールドカップとはかなり違う。そもそも“野球のナショナルチーム”を作りたいと、どれだけの国がおもっているのか、とても疑問である。国を背負って野球をやりたい選手など、世界にそんなにいないだろう。ゴルフやテニスと同じである。

 ただ、大会はすでに何回か開かれており、2017年にも開催されるのだから、そのへんを問題にしたいわけではない。

 個人的に強く興味があるのは「野球ナショナルチームが醸しだす違和感」である。

 ワールドカップを目指している「サッカーナショナルチーム」と比べてみると、その違いが明確になる。ワールドカップに出場したい、勝ちたい、という意思は、おそらく世界のサッカー選手共通の意思である。

 野球界の世界大会は、そんなポジションにはない。WBCで勝つことを目標に日々野球をやっている選手は、世界にほとんどいないとおもう。

 それはおそらく、野球に“世界性”がないからだ。

数十秒ごとに審判の判定を待つ時間が発生する。

 ワールド・ベースボール・クラシックが始まる以前にも、おもにオリンピックで、プロ野球選手によるナショナルチームが結成され、その試合を何度も見た。見たときの正直な感想は、やたらと疲れる、である。

 これは、スポーツとしての野球の特殊性にあるとおもう。

 ひとつ例を挙げると、野球では、審判の介入が異常に多い。

 投球の一球ごとに審判が判定する。一球ごと、つまり数十秒ごとに審判の判定を待つ時間が発生するというゲームは、オリンピック競技ではほかにない。試合を決める一球や、点数に関わる瞬間ならともかく、まったく試合の行方と関係がなく、いまの状況を変化させることもない一球であっても、審判の判定を待つ。

 私たちは慣れてしまっているが、初見の人間にとって、これはおそろしく怠(だる)い光景である。

 多くのスポーツは、もっと選手たちの紳士的な判断で進められていく。ここまで他者に依存するスポーツも珍しい。おそらくアメリカが欠落している何かを補っているのだとおもう。だからベースボールはアメリカと何らかの関係のある国でしか普及していない。

【次ページ】 選手を知っていないと、野球は面白くない。

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