野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
都市対抗に出場する元阪神、玉置隆。
背中を押した、福留と球児の言葉。
posted2016/06/17 07:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Yutaka Tamaki
数年前のオフ、焼き肉を食べながら、まだ「プロ野球選手」だったかれが、何げなく話す言葉が印象的だった。
「知らない携帯番号から掛かってくると、ドキッとするんですよ……」
冗談めかしたが、本音だろう。二軍暮らしが長く続いていた。これは戦力外を通告するための球団首脳の電話ではないか……。夢を絶たれるかもしれない不安を抱きながら、それでも、真摯に野球に向き合ってきた。
もう、かれは「プロ野球選手」ではない。生きがいを奪われ、一度は違う道に進もうかとも思った。それでも、いまなお、マウンドに立っている。生きる「世界」は、たった1つではない──。
先日、たまたまフェイスブックで目に留まった写真は、そんな気概を伝えるようだった。力強く左足を踏み出す投球フォーム、打者をにらみつける、ふてぶてしい表情は相変わらずだ。ただ1つ、いままでと違うのは、タテジマではなく、青いユニホームを着ていたということだった。
企業の名誉を一身に背負う重圧とも戦う。
6月に入り、玉置隆(たまき・ゆたか)は眠れない夜を過ごした。
昨季まで阪神で11年間、プレー。一軍で20試合に登板し、勝敗なしの防御率1.95だった。右肘を手術し、育成降格からはい上がって'13年にクライマックスシリーズで登板していた。修羅場も経験しているはずなのに、妙な感情の高ぶりを感じていた。
「自分で2試合、落とす可能性があった。怖さがあったし、その日の夜、なかなか寝つけなかった。あんなの初めてですね。元プロで『力になってくれ』と呼んでいただいたのに、自分で2つ落とすのは絶対にやってはいけないこと。やるしかない。取り返せると思うしかなかった」
今年から社会人野球の新日鐵住金鹿島でプレーしている。
家族とともに茨城・鹿嶋市に移り住み、午前中は社業、午後から練習する日々だ。都市対抗の北関東代表決定リーグは佳境に入っていた。6月3日、強豪・日立製作所戦に救援し、8回に決勝本塁打を浴びた。痛恨の被弾で敗戦。それでも翌4日の富士重工業戦で先発することが決まっていた。また負ければ……。
都市対抗は社会人野球の華だ。
企業の名誉を一身に背負う。
所属先の上司や同僚らから「頑張ってね」と声を掛けられたのは1度や2度ではない。客席を見渡せば、自身のユニホームを着て応援にも来てくれる。
周囲の期待を身に染みて感じた。