プロレスのじかんBACK NUMBER
IWGPジュニア王者KUSHIDAは、
なぜ“ナイフ”を研ぎ続けるのか?
posted2016/05/02 10:30
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph by
Essei Hara
「見た目からしてもそうですし、体重的にもまごうかたなきジュニアヘビー級戦士。そうすると期待されるものは空中殺法だったりするわけですけど、飛ぶということに関して言うと、ボクは飯伏幸太とかリコシェ、ウィル・オスプレイのようなハンパない身体能力を持つ人間には太刀打ちできないんですよ。正直言って、そこの部分では白旗をあげたところがある。じゃあ、ボクが彼らに対抗できるものは何か? その時、“原点”に立ち返りましたね」
現IWGPジュニアヘビー級王者であるKUSHIDAは、新日本ジュニア、ひいては世界のジュニアヘビーシーンのニューリーダー的な存在だ。だから海外での人気、注目度も高い。
生まれて初めてプロレスというものに触れた瞬間が、プロレスラーになろうと決めた時だった。1990年4月27日に東京ベイNKホールで行われた、橋本真也&マサ斎藤vs.武藤敬司&蝶野正洋戦の試合をテレビで観た。華麗なムーンサルト・プレスでフィニッシュを決めた武藤は、これが海外からの凱旋帰国試合だった。KUSHIDAが小学1年生の時のことだ。
もともと友達と外で遊んだりするよりも家での一人遊びが好きな少年だった。だからプロレスにハマってからは、ソファの一角をプロレスのリングに見立てて、ウルトラマンの怪獣フィギュア同士でプロレスをやらせた。しかも自分は辻よしなりアナウンサーになりきり、実況もするという自宅版『ワールドプロレスリング』。毎回パターンは一緒で、最後はムーンサルト・プレスで決着がついた。
プロレスごっこをしていた兄弟は……。
もちろん、それからプロレスごっこもやりまくった。
5つ年上の兄もプロレスが大好きで、バック転ができるようになったのもお兄ちゃんが布団の上で教えてくれたからだった。優しい兄は、KUSHIDAの技を全部受けてくれ、そのプロレスごっこの模様は家庭用ビデオで映像に収めてくれた。あとでその映像に兄弟で音声をかぶせて解説をしたり、対戦カードのテロップを入れたりして、子供にしては高度なプロレス中継を制作していた。
のちに兄は大学卒業後、「やりたいことがない」と就職をせずしばらくフリーター生活を送っていたが、実家に帰ってきたある日、当時自分たちで作った映像を観て「あ、俺ってこういうこと好きだったんだな」って気づいてテレビの制作会社に入った。
あのプロレスごっこの映像を撮っていた兄は制作会社に入り、映像に映っていた弟はプロレスラーになったという櫛田家の美談である。
しかし、プロレスラーKUSHIDAの原点が本格的に育まれるのはそのあとのことだ。その原点とは、格闘技の教養と技術である。