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ついにマウンドを降りた山本昌、
「ドラフト会議」以来のある再会。

posted2015/11/12 12:40

 
ついにマウンドを降りた山本昌、「ドラフト会議」以来のある再会。<Number Web> photograph by MOTOKO

茅ヶ崎の海岸は、江の島まで往復20kmのランニングをした思い出の場所だ。

text by

大平誠

大平誠Makoto Ohira

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MOTOKO

32年に及ぶ史上最長の現役生活を終え、50歳にしてついにプロのマウンドを後にした山本昌。Number889号「山本昌、茅ヶ崎に帰る」の取材では、中学校時代の同級生で野球部のチームメイトでもあった大平誠氏が、三十数年ぶりとなる再会を故郷・茅ヶ崎で果たし、ふたりにとっての恩師である当時の野球部顧問、角田明氏を訪ねたのだった。今回、その取材後記を特別にお届けする。

「あれっ! 大平? 何でここに居るの。お前も一緒に話するの?」

 母校の茅ヶ崎市立松林中学校に、当時の野球部顧問である恩師に引退の報告に訪れたスーツ姿の大男は、インタビュアーが同級生の筆者であることを理解するまでしばらく混乱していた。無理もない、別々の高校に進学し、32年という途方もない年月のプロ野球生活に踏み出す一歩となったドラフト会議前夜以来の再会である。

 最多勝3回、41歳で無安打無得点試合を達成した通算219勝左腕の軌跡は、日本中の野球ファン同様筆者も知悉している。一方で、プロ入り後一度も会ったことのない同級生の足跡や現在地を、長らく球界最年長選手として君臨してきた山本昌が知っているわけがないのだから。

 筆者は新聞記者を経て雑誌記者、ノンフィクションライターとして報道現場に携わってきたが、スポーツシーンの取材に取り組むことはほぼ皆無だった。煌びやかなカクテルライトに照らされたボールパークで野球ファンに夢を届けていた同級生とは無縁の、事件や事故の狭間で喘ぐ現実世界の住人たちを、地を這うように追いかけてきた。

 それでも齢71にしてなお眼光鋭い恩師の前で緊張しつつ、「俺」「お前」で自然と会話が成立してしまうところが幼馴染というものか。

35年ぶりの母校で見せた、確かな観察眼と抜群の記憶力。

 卒業以来35年を数える母校は、校舎も体育館も美麗な新建築物に取って代わり、当時の面影を残すのは正門脇に生えていた松の木ぐらい。しかしながら、頭脳的な投球術で老獪というか、老眼の進行にも負けずに50歳まで投げ続けたプロ投手の記憶力は抜群だった。

 今のご時世なら問題になること必至の体当たり指導で、本職の投手のみならずプロでも有数の「バント職人」を作り上げた激しすぎる練習や、試験期間前の部員全員参加の勉強会の模様など、まるで昨日のことのように鮮明に、淀みない口調で再現した。プロ入り前の志望通り、教育の道に進んでいればいい教員になったに違いない。何より当時の部員一人一人の特徴に至る細かなエピソードを披露し、観察眼の確かさに舌を巻いた。明るくて友達思いだが、優しすぎてプロには向かないと筆者も恩師も抱いた懸念が、杞憂に終わった理由が分かったような気がした。

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