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谷繁元信、史上初の3018試合出場。
捕手失格寸前で気づいた“自分の形”。
posted2015/08/04 10:40
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
NIKKAN SPORTS
積み重ね。
中日の谷繁元信が自身のパフォーマンスや結果を語る時、口癖のようにそう述べる。この身上が、ようやく「偉業」という形で実を結んだ。
7月28日の阪神戦で、その積み重ねが3018試合に到達した。野村克也氏の記録を35年ぶりに塗り替え、谷繁は歴代プロ野球選手のなかで最も多く試合に出場した選手となった。
試合後の記者会見。この日、阪神に敗れたこともあり雄弁ではなかったようだが、それでも谷繁は、やはりあの言葉を口にした。
「1日24時間あるなかで、全てそこ(試合)に合わせて生活してきました。その積み重ね、ということです」
プロ野球選手の平均寿命は8、9年と言われている。彼らにとって、無為に失われた時間は時として命取りになりかねない。そのことに気づき、これまで一歩、一歩、噛み締めるようにキャリアを築いてきたのが、谷繁という選手なのだ。
それは、記者会見で語った後輩たちへのメッセージに触れればはっきりと理解できる。
「『やり残した』とか、後悔してほしくないんです。プロとして現役でやっている時に、そのことに気づいてほしい」
高卒1年目から80試合に出場も、味わったプロの壁。
谷繁の原点は、本人が「あの球団でいろんな人に出会わなければ今の自分はない」と明言しているように、最初に入団した大洋(現・DeNA)にある。大洋という環境が、谷繁にプロとしての向上心を高めさせ、積み重ねの必要性を身につけさせてくれた。
1989年に強肩強打の捕手として大洋にドラフト1位で入団。球史に名を残した先人たちがそうだったように、バッテリーコーチから基礎体力やスローイング、キャッチングなど、捕手としてのスキルを徹底的に叩き込まれた。試合になれば先輩たちに何度もダメ出しを受けながら、それでも高卒ルーキーとして80試合に出場。結果を残した。
ただ、すぐにレギュラー定着とはいかず、2年目以降は年上の秋元宏作がマスクを被る機会が多かった。スタメンで出た試合でも、ゲーム終盤になると秋元に代えられることも珍しくなかった。
谷繁にはその理由が分かっていた。