濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「自尊心は満たされました。けど……」
佐藤嘉洋が語るK-1ブームの光と影。
posted2015/06/07 10:40
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
日本の立ち技中量級を代表する格闘家、佐藤嘉洋に地元・名古屋でインタビューを行なった。
「今の僕みたいなのを取材してくれるなんて」と笑う佐藤。今の彼は、厳密に言えば“現役選手”ではない。5月4日のKrush後楽園大会で新鋭ジョーダン・ピケオーにKO負けを喫し、今後の試合予定をすべて白紙としたのだ。出場が決まっていた7月4日のK-1-70kg世界トーナメントも辞退している。いずれリングに帰ってくるかもしれないが、そうならないかもしれない。練習自体はしているが、文字通りすべてが白紙だ。
「2011年くらいから、量より質の練習に切り替えたんですよ。そのことで調子が上がったし、強くなっている実感もあった。でも、戦績を見てみると昔のほうがいいんですよね。ピケオー戦もコロンと倒されてしまった。今までの僕にはなかったことです。K-1に予定通り出るかどうかは、正直迷いました。でも迷った時点で出る資格がないなと」
K-1MAXでブアカーオをKOしトップファイターに。
整骨院やジムの経営など、ビジネスでも忙しい34歳。あらゆる面で自分を見つめ直す時期なのだろう。そんな時期だからこそじっくり聞けることもある。次戦に向けての意気込みや近況だけにとどまらない話だ。
佐藤は1998年にプロデビューすると、ヒジ・ヒザありのキックボクシングで世界レベルの活躍を見せた。オランダやイタリア、タイに遠征して高く評価され、現役ムエタイ王者にも勝利した。
2005年からはK-1 WORLD MAXに参戦。ヒジ、首相撲禁止のルールに対応し、ブアカーオ・ポー.プラムックをKOするなどトップファイターになっている。この旧体制のK-1が崩壊するとKrushに出場。Krushの運営陣による新生K-1でも、-70kg戦線の中核を担う存在と見られていた。
つまり彼は、ブーム以前、ブーム真っ只中、それにブーム以後の業界をすべて体験している。コアなファンが集まる後楽園ホールも、女性ファンが数多く詰めかけた日本武道館も、環境が整っているとは言えない海外の会場も知っている。