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甲子園、プロ、そして日本代表!?
高校球児の「目標」に変化の兆し。 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byHideki Sugiyama

posted2015/01/18 10:50

甲子園、プロ、そして日本代表!?高校球児の「目標」に変化の兆し。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

大阪桐蔭が2014年夏の甲子園を制した時の西谷浩一監督。スケールの大きな選手を輩出する同校のスタンスは、世界を目指す侍JAPANの目標と一致している。

甲子園で涙を見せなかった森友哉が、JAPANで大泣き。

「メンバー選考会議は、センバツの時と夏の大会中に行ないました。重視したのは、左投手と右の野手。右打者としては、連盟からの推薦もあり渡邉君を選びました。

 選考会議以外でも、田口君がいいピッチャーだという噂を聞いていたので、夏の甲子園の前に、知人に頼んで広島大会決勝のビデオを入手していたんです。田口君の対戦相手だった山岡君のことも、当時は知らなかったのですが、このビデオでチェックして、田口君と右ピッチャーでしたが山岡君の両方を選びました。

 そんなメンバーで合宿に入ったんですけど、選手たちには『この大会を目標にやってきた選手はいないと思うけど、なかなかこういう機会もないから、選ばれたことの誇りと自覚をもってやってほしい。これは親善試合ではないし、去年は負けている。今年は勝つための20人を選んだのだから、それぞれ役割を果たしてもらいたい』と伝えました」

 結果は、前回大会を大きく上回る準優勝だった。

 決勝戦でアメリカに敗れた時、主将だった森友哉は人目をはばからず大泣きした。'12年に大阪桐蔭で春夏連覇を果たしたときも、最後の夏の敗戦時にも涙を見せなかった男が、JAPANの敗戦で号泣したのだ。その姿はこのチームがただの寄せ集めではなく、世界一を目指した本物の代表チームであったことを示していた。

「アメリカに勝ちたい」と言うようになった森友哉。

 西谷は、日本代表チームの概念がこれから変わっていくだろうと、こう予言していた。

「日本の野球界には、日本一になりたい、甲子園に行きたい、神宮で勝ちたい、都市対抗で勝ちたいと思う選手はいても、世界一になりたいという選手はそう多くないと思うんです。でも例えば森友哉は、高校時代にアメリカに2回負けて、アメリカに勝ちたいと言うようになっていました。ということは、野球選手としての考え方が大きくなっていると思うんですよね。

『甲子園で優勝したい』、『ドラフトにかかってプロに行きたい』というのに加えて、『高校JAPANに入りたい』という目標を、高校球児が持つようになれば、日本の野球界も少しは変わってくるのではないでしょうか。

 今回、ある程度の答えというか、道筋は見えたと思うんです。甲子園のベスト4に入ったチームから何人か選ばないといけないとかじゃなく、勝ちにこだわる人選という方向性が見えた気がします」

 2014年には“18U世代”の世界大会がなかったが、2015年の大会を目指して、まだ多くはないものの「高校日本代表に入りたい」という選手が増えてきている。これは、日本球界にとっての大いなる進歩として捉えてよいのではないだろうか。

【次ページ】 「日本代表に選ばれたい」という発想が変えるもの。

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西谷浩一
大阪桐蔭高校

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