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熊野の“晩秋の選抜甲子園”とは?
全国の強豪が集う「超豪華練習試合」。

posted2014/12/10 10:30

 
熊野の“晩秋の選抜甲子園”とは?全国の強豪が集う「超豪華練習試合」。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2年の夏に全国制覇を成し遂げた前橋育英高の高橋光成。3年時は甲子園出場はならなかったが、西武にドラフト1位で指名を受け、将来を嘱望される本格右腕だ。

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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Hideki Sugiyama

 熊野古道が「世界遺産」になってから、少しずつ熊野という土地の認知度は上がってきたが、実際に訪れた人はそれほど多くないのではないだろうか。

 名古屋からも大阪からも、特急で3時間弱。

 はるかなる熊野に、今年も高校野球の精鋭たちが集まった。

 北から、山形中央(山形)、前橋育英(群馬)、関東一(東京)、横浜隼人(神奈川)、大府(愛知)、豊田大谷(愛知)、近大高専(三重)、いなべ総合(三重)、敦賀気比(福井)、三田松聖(兵庫)、創志学園(岡山)、自由ヶ丘(福岡)。

 迎え撃つのは地元、熊野地方の4校で、木本(きのもと)、紀南、尾鷲、そしてお隣・新宮市(和歌山)の近大新宮。

「晩秋のセンバツ甲子園」

 私は勝手にそう呼んでいる。

 この催しが始まって、この秋で22回目になる。そもそもは「町おこし」だった。

 距離が遠い。交通が不便。観光名所も熊野古道以外にない。以前の熊野はそんな土地だった。

「野球で熊野を元気にしよう!」

 大きな町から人は来ない。その代わり、若者たちは学校を出ると大きな町へ次々と出て行く。どんどん活力を失っていく熊野は、いったいこのままでいいのか!

 そんな危機感を抱えた熊野育ちの男たちが立ち上がった。

 たまたま、その多くが高校球児だった。プレーはしたことがなくても、野球が大好きな者が何人もいた。

「野球で熊野を元気にしよう!」

 もともと、野球の盛んな土地柄でもあった。

 人口2万前後の町から、ドラフトが始まった1965年(昭和40年)以降で4人のプロ野球選手を輩出している。

 町の郊外には「くまのスタジアム」というすばらしい球場がある。過去に、オリンピック代表チームが強化合宿を行なったこともある。

 高校野球にはもったいないほどのこのスタジアムを会場にして、高校野球の強豪、有名校を呼んで、総当たり制の練習試合の“祭典”をやろう。

 話はトントン拍子に決まって、「ではっ!」と最初に声をかけに足を運んだのが、あの横浜高だったというから、やることは大胆だった。

【次ページ】 大谷翔平も、1年生の冬に熊野へやってきた。

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