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グウィンとウェルチ。
~傑出した安打製造機の早逝を悼む~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

PROFILE

photograph byKazuaki Nishiyama

posted2014/06/21 10:30

グウィンとウェルチ。~傑出した安打製造機の早逝を悼む~<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

殿堂入り資格を得た1年目で97%以上の得票を得て殿堂入り。母校の野球場は『トニー・グウィン・スタジアム』と名づけられ、パドレスでも19番が永久欠番となっている。

 2014年6月16日にトニー・グウィンが亡くなった。54歳の若さだ。6月9日にボブ・ウェルチが亡くなってからわずか1週間。ウェルチも57歳だった。

 球場で何度か見た選手が早逝するのは寂しい。'94年にウェルチが引退した翌年、野茂英雄がドジャースに入った。グウィンが引退した2001年はイチローが大リーグにデビューした年だった。そんな因縁もぼんやりと思い出す。時の流れが速すぎる。

 グウィンはパドレスで20年間プレーした。新人の年だけは3割を打てなかったが、あとの19年間はすべて3割以上を打った。首位打者8回は、あのホーナス・ワグナーと並んでナ・リーグ最多だ(大リーグ最多はタイ・カッブの12回)。

 '80年代から'90年代にかけて、私はグウィンを何度か見た。ドジャー・スタジアムで見ることが多かったが、サンディエゴでも2度見た。同じ球場だが、最初はジャック・マーフィ・スタジアムという名前で、2度目に見たときはクァルコム・スタジアムと改称されていた。2度目は、インターリーグの対オリオールズ戦。猛烈に暑い真夏のデーゲームで、球場に向かう車のラジオは、ダイアナ妃の交通事故死を報じていた。

クレイジーとかパラノイアといった言葉が浮かぶ執念。

 そういえばあの試合では、ジョージ・F・ウィルの顔も球場の電光掲示板に大きく映し出されていた。たまたまその日、ウィルは放送のゲストとして来場したようだった。私は、半年ほど前に彼の著書『野球術』を訳していた。図々しく放送ブースへ押しかけて面会しようかとも思ったが、先方には迷惑だろうし、やはり控えることにした。

『野球術』の第3章〈打撃術〉のなかで、ウィルはグウィンを綿密に分析している。自身の全打席をビデオ・カセットに収めて分析することや、観客席の真下に細長い打撃練習場(球場と同じ300燭光の明るさだ)を作らせたことも、本にはくわしく述べられていた。

 読んで訳したあとは、グウィンの特性がよくわかった。打撃職人であることはたしかだが、技術に賭ける執念がやはり桁ちがいなのだ。クレイジーとかパラノイアとかいった形容が浮かんでも不思議ではない。177cm、90kgの豆タンク体型からは連想しがたい狂気や超越の意思が、グウィンの内部には潜んでいたにちがいない。

【次ページ】 イチローを遥かに上回る、三振の少なさ。

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