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「一緒にメダルを獲るならこいつらと」
日本ジャンプ陣、笑顔と涙の銅メダル。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2014/02/18 11:35

「一緒にメダルを獲るならこいつらと」日本ジャンプ陣、笑顔と涙の銅メダル。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

スキージャンプ団体(ラージヒル)で銅メダルを獲得した、左から清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明。

 笑顔と涙。

 2月17日のジャンプ団体戦のあと、日本の選手たちはそれぞれのないまぜになった表情を見せていた。共通していたのは、手にしたメダルへの喜び。そこには、個々の抱える事情と思いがあった。

 日本は、清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明と、ラージヒルと同じメンバーで挑んだ。

 竹内は1月に「肺炎で約2週間入院」と伝えられていた。

 だが本当はそうではなかった。竹内はその時、「チャーグ・ストラウス症候群」を患っていた。血管の病気で関節痛、発熱、手足のしびれなどさまざまな症状が起こる。

 入院しているときは、オリンピックはもう無理だと思ったこともあったという。だが、「体を戻してメダルを獲りたい」の一念が、竹内を諦めさせなかった。ステロイド薬で症状を抑えてはいたが、それは筋力の低下にもつながる。いかに筋力を維持するか、競技レベルを落とさないかという綱渡りの戦いがあった。

左膝痛に苦しめられた伊東、転向組の清水。

 伊東はソチ入り後、左膝痛に苦しめられてきた。足がまっすぐに伸びない状態が数日続き、陸上トレーニングもままならなかった。体調が万全なら、十分世界の上位に食い込む力を示してきたこの数年だったが、8日のノーマルヒルは欠場。ラージヒルと団体に懸けていた。

 チームの中では最年少、20歳の清水はもともとはノルディック複合の選手だった。清水がジャンプに転向したのは高校3年のとき。「ジャンプだったら世界一になれるんじゃないか」と思いたち、周囲の反対もあったが押し切ってジャンプに専念することを決めた。その思い切りのよさと、物事をポジティブに考えられる思考はチームにひとつの色を添えていた。

 それぞれに、「メダルを獲りたい」と強い気持ちで臨んだ団体戦。

【次ページ】 全員が130mジャンプを記録し、2組を残して首位に。

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