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ついにイタリアへ旅立った本田圭佑。
実り多きCSKAでの4年間を振り返る。 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byRussian Look/AFLO

posted2013/12/18 10:30

ついにイタリアへ旅立った本田圭佑。実り多きCSKAでの4年間を振り返る。<Number Web> photograph by Russian Look/AFLO

雪のちらつくモスクワに別れを告げ、念願の地イタリアへ。4年間のロシア生活は、本田が高く羽ばたく準備をするには十分な時間だったのだろう。

 本田圭佑がCSKAモスクワを去った。12月10日のチャンピオンズリーグ第6節が終了し、CSKAが2013年の全日程を消化したことを待って、ACミラン加入が発表された。

 昨シーズンあたりから移籍マーケットが開くたびに去就が取り沙汰され、リバプール、レアル・マドリー、ラツィオ、マンチェスター・ユナイテッド、インテル・ミラノなどのビッグクラブが、本田に興味を示していると報道されてきた。最終的にはCSKAとの契約を満了したわけだが、ロシアで過ごした4年間は彼にとってどのような意味を持つのか。

 長過ぎた冬が、ようやく終わりを告げたのか。

 否、そうではない。

 本田が加入する以前のCSKAは、ロシアプレミアリーグで劣勢を強いられていた。モスクワダービーを争うスパルタクの後塵を拝するだけでなく、豊富な資金力を得たゼニト・サンクトペテルブルクやルビン・カザンらの新興クラブに優勝をさらわれていた。本田が加入する直前の'09年シーズンは、'02年のプレミアリーグ変更後でチームワーストの5位に沈んでいた。

 国内カップでは優勝を飾っていたCSKAだが、'06年を最後にリーグ制覇から遠ざかっていた現実は重い。VVVフェンロ(オランダ)で圧倒的な存在感を放っていた日本人MFの双肩には、名門再建の重責が託されていたのだ。

CLでの鮮やかな直接FKで存在感を示した。

 ファーストインパクトは鮮烈である。

 '10年3月のUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)決勝トーナメント1回戦だ。背番号18を着けた本田は、セビージャとのアウェイゲームで直接FKを叩き込む。2試合合計スコアを3対2としたCSKAは、クラブ史上初にしてロシア勢初ともなるCL8強進出を成し遂げたのだった。

 加入1年目の'10年は、リーグ、国内カップ、CL、ヨーロッパリーグを含めて公式戦39試合に出場した。フィールドプレーヤーではロシア代表CBのセルゲイ・イグナシェビッチと並ぶ数字だ。'10年8月にCSKAがミロシュ・クラシッチをユベントスへ送り出すことができたのも、本田が瞬く間にチームへフィットしたからである。

【次ページ】 安定感のある本田のプレーには高い評価が。

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