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若手選手たちが持つ、
金メダル以上の価値。
~サッカーアジア大会Vを再考する~ 

text by

浅田真樹

浅田真樹Masaki Asada

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photograph byNoriko Hayakusa

posted2010/12/12 08:00

若手選手たちが持つ、金メダル以上の価値。~サッカーアジア大会Vを再考する~<Number Web> photograph by Noriko Hayakusa

 恥ずかしながら、当時は単なる消化試合程度にしか考えていなかった。だが、その後の日本のサッカーにとって、実は、あれはかなりエポックメイキングな出来事だったのではないだろうか。そんなことを思う試合がある。

 北京五輪アジア2次予選。それまで5戦全勝で、すでに最終予選進出を決めていた日本は、マレーシアとの最終戦で、直前の香港戦から先発メンバー10人を入れ替えた。有り体に言えば、セカンドチームを送り出したわけである。

 主力を休ませたかっただけ。そんな冷めた見方もあった。だが、当時のU-22代表監督だった反町康治は、従来のメンバーで戦い続けることの限界も感じており、最終予選へ向けての新戦力発掘は当然の目的としても、同時に、こんな狙いがあったと明かす。

「いろんな選手を呼ぶことで、最終的に北京まで残るかどうかは別にして、その選手のサッカー人生をより刺激的なものにすることが重要だった。90分の試合だけでなく、事前のキャンプも含めると、その刺激は相当なものだったと思う」

“消化試合”で初招集された無名時代の長友佑都と岡崎慎司。

 反町が刺激を与えるべく、このとき初めて招集したのが、後に北京はおろか、南アフリカのピッチにも立つことになる、長友佑都と岡崎慎司である。

 すでに清水で試合に出始めていた岡崎はともかく、当時の長友は明治大に所属する、まったく無名の選手だった。

 他にも、当時は水戸の所属で、「日の丸なんて関係ないところでプレーしていたけど、刺激を与えれば伸びるんじゃないか」と、反町が見込んで使った選手に、小椋祥平がいた。言うまでもなく、現在は横浜FMに欠かせぬ守備の職人だ。

 当時のキャンプや試合の様子を思い出しながら、反町はこう語る。

「この年代の選手は、ひとつのきっかけで大きく伸びる。あのマレーシア戦は後後にすごく大きな意味があった」

 当初は、所属クラブで出番の少ないJリーガー+大学生が中心のチームで臨むとあって、冷めた目で見られることが多かったアジア大会。だが、この大会もまた、史上初の金メダル獲得とは無関係に、後々、その価値をあらためて見直される大会になるのではないだろうか。

 現時点で有名か無名かなど、選手の将来には、ほとんど意味を持っていない。

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