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弾むように歩き、勝った奇跡の名馬。
トウカイテイオー、天に召される。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byTomohiko Hayashi

posted2013/09/07 08:01

弾むように歩き、勝った奇跡の名馬。トウカイテイオー、天に召される。<Number Web> photograph by Tomohiko Hayashi

最後のレースとなった1993年有馬記念では、8番人気ながら優勝。翌年10月の引退式当日、メインレースに勝ったのは、皐月賞で2着に退けたシャコーグレイドだった。

 また一頭、競馬史に残る名馬が天に召された。

 無敗で1991年の皐月賞、ダービーを制するなどしたトウカイテイオー(牡、父シンボリルドルフ)が、8月30日午後3時半ごろ、急性心不全のため繋養先の北海道安平町の社台スタリオンステーションで死亡した。25歳だった。

 トウカイテイオーは、GIを7勝した「皇帝」シンボリルドルフの初年度産駒として、'88年4月20日に北海道新冠町の長浜牧場で生まれた。母は'84年のオークスを勝ったトウカイローマンの半妹のトウカイナチュラル。

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 当歳時から牧場で「テイオー」と呼ばれていたという逸話にふさわしい大物ぶりを、デビューと同時に発揮する。

 '90年12月の新馬戦、シクラメンステークス、年明け初戦の若駒ステークス、皐月賞トライアルの若葉ステークスと4連勝。そのすべてが圧勝であった。

 そして、'91年4月14日、クラシック三冠の皮切りとなる皐月賞に臨んだ。大外18番枠から流れに乗ったテイオーは、直線で楽に抜け出し優勝。単勝2.1倍の1番人気に応え、初のGIタイトルを手中にした。

 つづくダービーも圧勝し、父と同じく無敗の二冠馬となる。ダービーの父仔制覇は史上4組目、父仔による無敗制覇は史上初だった。

端正な顔立ち、気品のある立ち姿、軽い足取り。

 テイオーは、流星が目を惹く端正な顔だちで、その立ち姿には気品があった。そして、それ以上にこの馬の存在感を示していたのは、独特の歩き方だった。繋(つなぎ)がやわらかいからか、人間のモンローウォークのように大きく伸び上がりながら脚を踏み出すので、パドックを歩いていても、一頭だけ弾むように腰を上下させていた。あとにも先にも、これだけ後躯を弾ませながら歩く馬を見たことはない。

「他馬を威圧する」という感じではなかった。何かいいことがあったときのように軽い足どりで歩き、そのまま馬場入りし、皐月賞もダービーも、大外枠から軽く走っただけで勝ってしまった。もちろんテイオーは一生懸命走ったのだろうが、そう見えたのだ。あのときの衝撃は今も忘れられない。

 父同様、確実に無敗の三冠馬になるかと思われたが、ダービーの3日後に骨折が判明。菊花賞を断念することになった。

【次ページ】 史上最強のメンバーが揃ったジャパンカップを完勝。

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