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ノリと谷繁。苦労人が刻んだ、
“2000本”という偉業。
~プロに生き残った執念の結晶~ 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byKYODO

posted2013/05/31 06:00

ノリと谷繁。苦労人が刻んだ、“2000本”という偉業。~プロに生き残った執念の結晶~<Number Web> photograph by KYODO

中日戦で谷繁に祝福された中村は「お先に失礼します」と答えた。

 22年目の中村紀洋と25年目の谷繁元信が2000本安打を達成した。両ベテランが歩んだ道のりは、華やかなスポットライトばかりを浴び続けるものではなかった。

 中村は“公立高校の星”渋谷高から'92年にドラフト4位で近鉄に入団。駆け出し時代に出会った水谷実雄打撃コーチから“お前が20本塁打を打つまで俺は外出しない。お前も外出はダメだ”と言われ、連日、バットを振り続けた。血マメがつぶれ、痛くて手袋を脱げず、バットを握って眠った夜もあった。「バットを振れば新たな道が拓ける」という信念を貫き、日米6球団を渡り歩いてきた。

「国民栄誉賞のW受賞がある5月5日は避けたいですね」と話していた中村だが、記録達成は受賞日と重なった。部活動の都合で、この日しか観戦に来れない3人の娘の前での達成を何よりも優先させたのだ。

 ドジャースを経て、オリックスに移籍した'06年のオフ、左手首の「公傷」をめぐって、フロントと折り合わずに事実上の戦力外通告を受けた。楽天を戦力外となった'10年オフはしばらくの間、バッティングセンターに通い、打ち込みを続けた。このとき、“パパはまだやれる”と励ましてくれたのが3人の娘だった。現在は単身、DeNAの本拠地・横浜で暮らす中村。フルスイングで放った二塁打は、娘への“感謝の一打”となった。何よりのプレゼントのお返しは、“パパは凄い”と言われて頬にキスされたことだという。

横浜と中日で谷繁を見続けた権藤博は“読み”の鋭さを称える。

 一方の谷繁は、中村から1日遅れての達成となった。両親と三男・朗君が見守る5月6日の神宮球場。中村と同じく家族と離れ、名古屋に暮らす谷繁にとって、三男の誕生日であるこの日は、「どうしても決めたい」試合だった。スタンドから有言実行の父を見つめた息子は、“凄すぎる”と胸を張った。

「7番・8番を打っている自分が2000本安打ですから、積み重ねしかないでしょう」

 こう言って谷繁は笑うが、攻守に発揮される“読み”に25年という経験の凄みを感じる。セオリーから外れる“同じ球種を続けさせるリード”をすることから、“続きのシゲ”という異名をとった。'98年の横浜優勝監督であり、昨年中日で投手コーチを務めた権藤博も、42歳のベテランを「リードの技術を逆手にとって打席に立つから“読み”が当たる」と称える。捕手としては野村克也、古田敦也に続いてわずかに3人目という快挙である。

【次ページ】 「俺はずっとマスクをかぶっていたいんです!」

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