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田中将大 「修羅場で見せた真骨頂」 ~<'06年夏決勝>駒大苫小牧vs.早実~ 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNaoya Sanuki

posted2010/08/03 06:00

田中将大 「修羅場で見せた真骨頂」 ~<'06年夏決勝>駒大苫小牧vs.早実~<Number Web> photograph by Naoya Sanuki
高校球史に残る名勝負となった、'06年決勝の早実との死闘。
その場所に辿りつくまでに数多の逆境を乗り越えてきた怪物エースは、
追い詰められるほどに能力を高めていった。

――もし、春の甲子園に出場していタラ。していレバ。

 史上初となる「夏春夏」の3連覇も夢ではなかったのではあるまいか。

 '04年夏に初めて全国制覇を果たした駒大苫小牧は、続く'05年夏も全国の頂点に立った。大ざっぱな分け方だが、1度目は攻撃力、2度目は投手力で勝ち取ったと言っていい。

 その2度目の優勝のとき、背番号11番をつけていた田中は、2年生ながら事実上のエースとしてチームを牽引していた。

 京都外大西との決勝戦、田中は最終回を3者連続三振で締めた。しかも、最後のバッターを空振り三振に仕留めたストレートが、当時の自己最速となる150キロをマーク。そのときの衝撃は畏怖に近かった。

 田中は、当時のことをこんな風に語っていたものだ。

「あの試合の8回ぐらいからですかね、自分の中で感じるものがあった。押し込む力とか、体重の移動とか。この感覚だ、って」

 それから田中が「怪物」と呼ばれるようになるまで、さほど時間はかからなかった。

センバツ大会目前で駒大苫小牧を襲った激震。

 夏の甲子園連覇を達成した直後、部長の暴力事件が明るみに出て、駒大苫小牧は一転、バッシングにさらされていた。監督の香田誉士史は「こういう中でリーダーシップを発揮できるのはあいつしかいない」と、田中を主将に指名。そしてまずは秋の全道大会を制し、続く明治神宮大会も制した。田中は期待通り、そんな逆風をも推進力に変え、白星を積み重ねていったのだ。

 新チームを結成してから3カ月足らず。だがこのときすでに駒大苫小牧は攻撃力、投手力ともに過去最高のレベルに達していた。

 当時、甲子園常連校を訪れると、どこの監督も必ずといっていいほど「いかに田中を打つか」について語っていた。高校球界が、ひとりの怪物投手を中心に回り始めていた。

 だが、出場が決まっていた選抜大会を間近に控えた春先、駒大苫小牧は再び激震に見舞われる。卒業式の日に、3年生部員が飲酒と喫煙で補導されてしまったのだ。

 現役部員に責任はなかったが、社会的体裁を繕う意味もあったのだろう、学校側は一方的に選抜大会の出場辞退と監督の辞任を決めた。選手たちは、テレビの報道を通して初めてその事実を知った。

 努力が報われず、残ったのはやり場のない怒りと空しさだけ。選手たちが無気力に陥るのは必然だった。

【次ページ】 焦りが田中のフォームを崩し、ボールのキレを失わせた。

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