フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
ソチGPファイナルを日本勢が独占!
浅田真央、3度目の優勝の意義。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2012/12/10 11:15
フリーで「白鳥の湖」を見事に演じきった浅田。不振を極めた昨季から、新しいステージへ向かう強い意志を感じさせる素晴らしい演技で、大会会場のみならず、世界中の観戦者を魅了した。
会見場を温かい笑いで包んだ浅田真央のコメント。
こうしてなごやかに進んでいた会見中、ロシア人の進行係からこんな問いかけがされた。
「来季の五輪に向けていろんな選手が戻ってくる。キム・ヨナも今週末にドイツで試合に出ているが、彼女の復帰をどう思うか」
我々日本人記者には、なかなか無邪気に口にできない質問で、部屋の空気が一瞬ひんやり緊張した。だが、浅田真央はやはり大物だった。
「五輪にはキム・ヨナ選手など、大勢の方がカムバックしてくると思う。皆さん、一緒に頑張りましょう、という感じです」
そう言ったときの浅田の表情は、見ている人すべてを思わず微笑ませずにはいられない、自然体の彼女そのものだった。会場全体が好意的な笑いで包まれ、再び空気がふんわりと温かくなった。
多くの思いを乗り越えた先の、3つ目のGPファイナルタイトル。
浅田真央が初めてGPファイナルタイトルを手にしたのは、7年前、15歳のこと。まだ五輪にも世界選手権にも出られない年齢だったが、シニアGPシリーズデビューの年にいきなりファイナル優勝を果たしたのだった。当時の彼女は、まだ怖いもの知らずの無邪気な「天才少女」だった。
あれから彼女は多くの思いを乗り越えてきた。
バンクーバー五輪で銀を獲得した後、佐藤信夫コーチの下へ移って新たに基礎から修正する決意をする。だがこの2年間は、技術的に悩み抜いて「ゴチャゴチャに」なってしまった時期もあったという。そして昨年は、最愛の母の急逝という悲劇に見舞われて、この大会を欠場。優勝した翌日の12月9日は、ちょうど母親の浅田匡子さんの一周忌にあたる。
22歳になった浅田真央が手にした、4年ぶり、3回目の価値あるGPファイナルタイトルだった。