南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
あのワールドユースから5年……。
本田圭佑とクインシーの明暗。
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byAction Images/AFLO, FIFA via Getty Images
posted2010/06/16 11:10
6月13日、セルビア対ガーナ。ガーナは1点リードで迎えたロスタイム、ひとりのFWをピッチに送り込んだ。有り体に言えば、時間稼ぎの選手交代である。
ピッチに入った選手の背中には、背番号20の上に「OWUSU‐ABEYIE」とある。あまり見慣れない名前だが、「QUINCY」というファーストネームならば、記憶している日本のサッカーファンもいるのではないだろうか。
クインシー・オウスアベイエ。元・U-20オランダ代表の快速ウイングである。
'05年にオランダで開かれたワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)。一次リーグ初戦で、日本は地元オランダに1対2で敗れた。スコアこそ僅差だったが、試合内容は大人と子供。とりわけ前半なかばまでは、まるで歯が立たなかった。
チーム力の差、ではない。たったひとりのドリブラーを、日本選手が文字通り束になってかかっても、まったく止めることができなかったのである。
その異次元のスピードを持ったFWが、クインシーだった。
“怪物”クインシーは欧州で夢破れ、中東へ流れていた。
「怪物」という表現がふさわしいプレーぶりに、当然、周囲は明るい未来を期待した。
だが、当時はアーセナルに所属していたものの、素行不良が問題となるなど、ピッチ外での話題も多かった。その後、スパルタク・モスクワを皮切りにヨーロッパの5クラブを転々とするが、どこも長続きせず、現在はカタールのアル・サッドに籍を置く。
と同時に、かつてはオランダ代表を目指していたクインシーも、両親の故郷であるガーナ代表としてプレーする道を選択。'08年アフリカネーションズカップで、国際Aマッチデビューを果たすに至った。
紆余曲折の末、たどり着いたワールドカップ。だが、巡ってきた役目は、誰が出ても変わらないような時間稼ぎだった。試合は、互いに単発の攻撃を繰り出し合うど突き合いだっただけに、まさにクインシー向きの展開だったはず……、などと考えてしまうのは、懐古趣味が過ぎるだろうか。
わずか1分の交代出場ではボールに触ることすらできず、彼の持つポテンシャルの片鱗――今となっては、残滓と言ったほうがいいかもしれないが――すら見せることはなかった。
まさか“あの”クインシーに、こんな形で再びお目にかかるとは思ってもみなかった。
そんな元・怪物のワールドカップデビュー前日には、同年のワールドユース決勝、アルゼンチン対ナイジェリアの再戦も行われていた。