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<CSKA躍進の鍵> レオニード・スルツキ 「謎の青年監督の正体」 

text by

中嶋亨

中嶋亨Toru Nakajima

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2010/05/08 08:00

<CSKA躍進の鍵> レオニード・スルツキ 「謎の青年監督の正体」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

「本田の左足」を高く評価し「勝利の鍵を握る」と期待を寄せている

昨年10月、崩壊寸前のCSKA再建を託され、半年足らずでCLベスト8に導いた手腕は本物か。38歳とは思えぬ貫録に満ちた風貌と挫折で学んだ哲学。
ベールに包まれた若きロシア人監督の資質に迫る。

 CSKAモスクワがCLベスト8に進出した快挙は、ロシアのみならずヨーロッパ全土に驚きをもたらした。

 だが、ほんの半年前、CSKAは苦境に立たされていた。

 昨年9月、ジーコ監督が成績不振を理由に解任されると、後任のファンデ・ラモスもわずか1カ月で監督の座を追われ、チームは崩壊寸前となった。そんな中、迎えられたのがレオニード・スルツキだった。

 欧州はおろか、ロシアですらビッグクラブを指揮したことのない38歳の青年監督が就任した当初は、前任の有名監督たちで失敗したシーズンの敗戦処理、新シーズンにやって来るはずの別の大物監督へのつなぎ役だと思われていた。しかし、スルツキは周囲の予想を覆し、見事にチームの態勢を立て直すと、リーグ戦ではEL出場権獲得となる5位。それと並行してCLの激戦を準々決勝まで勝ち進んだのだった。

ジーコとラモスに無く、スルツキだけが持っていたもの。

 守備陣にはGKアキンフェエフを筆頭にロシア代表を揃え、攻撃陣に未来のロシア代表エースと目されるジャゴエフ、さらにはチリ代表マルク・ゴンサレス、セルビア代表クラシッチらを擁する陣容はリーグ屈指であり、地力の高さに疑いの余地はなかった。

 だが、ブラジル人とスペイン人監督はピッチ内外においてチームに秩序をもたらすことができなかった。最初の火種となったのはジーコ監督時代の守備組織の欠如とそこから生じるピッチ上での混乱、そして成績不振からくる責任のなすり合いだった。

 後任のファンデ・ラモスはレアル・マドリーを立て直したという実績を買われたものの、ロシア語を話せず、チームの軸となるロシア人選手とのコミュニケーションがうまくいかないがゆえに、選手の力を引き出すことができなかった。

 だが、スルツキは二人には無かった能力を有していた。それは守備組織をきっちりと作り上げるためのノウハウと、ロシア語を話せるということだった。

地元クラブの12歳以下のチームでスター選手の扱い方を学ぶ。

 選手時代はGKだったスルツキは、左膝の負傷によって19歳でキャリアに幕を閉じる。選手としての道を断念し、ボルゴグラード国立体育大学から大学院へと進むと、そこで指導者としての道を歩み始めた。最初に任されたのは、地元クラブの12歳以下のチームだった。スルツキはここでの経験こそが監督としての土台を築くことにつながったと語る。何よりも彼は自分がなれなかったスター選手の扱い方を子供たちから学んだという。

「子供ほど自信を持っている選手はいない。皆、自分がスター選手だと信じている。そんな彼らを力ずくではなく納得させるには、何故そのプレーが正しいのか、そうではないのかを正確に伝える力を持たなくてはならない。それはどんなレベルでも同じなのだ」

【次ページ】 弱小チームを次々に躍進させた、独特のサッカー哲学。

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CSKAモスクワ
レオニード・スルツキ

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