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名勝負を生み続ける聖地。
後楽園ホール50年の記憶。
~ボクシングで最高の試合は?~ 

text by

前田衷

前田衷Makoto Maeda

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photograph byKYODO

posted2012/04/03 06:00

名勝負を生み続ける聖地。後楽園ホール50年の記憶。~ボクシングで最高の試合は?~<Number Web> photograph by KYODO

昨年は世界戦2試合の舞台となり、井岡一翔が初防衛、八重樫東(写真)が王座を獲得した。

 後楽園ホールで初めてボクシングが行なわれてから、まもなく50周年を迎える。こけら落としは'62年4月16日の高山一夫の無冠戦。当時強打が売り物の日本フェザー級王者の熱烈なファンで、手に汗握ってテレビ観戦した記憶がある。

 今でこそ「ボクシングの聖地」などと称されるようになったが、開場当時は新聞の記述もあっさりしたものだった。郡司信夫著『ボクシング百年』では、'58年に旧講道館を購入して「後楽園ジム」とした経緯を紹介しているが、'62年の現ホール新設についてはほとんど触れていない。移転程度の認識だったのだろう。

 折しもファイティング原田、海老原博幸、青木勝利の「フライ級三羽ガラス」が台頭するブームの真っただ中。毎日のように興行があり、ホールはボクシングの常設会場として新設された。プロレスやキックボクシングなどが使うようになったのは後年のことである。最近の興行数は月に10回前後、昨年は震災の影響もあってやや少なく年間109回だった。

 水色に塗装された建物自体は何の変哲もないが、5階のホールで繰り広げられた数多くの名勝負の記憶によって、今やここは特別な空間となった。世界的にも「ボクシングの聖地」と呼ばれた施設は過去にいくつかあるが、これほど長期間使用され、なお現役の施設は例がない。

半世紀の間に戦われた名勝負の中から一番を選ぶとすれば……。

 筆者の観戦歴の最初は、開場から4年経った'66年9月、藤猛の東洋王座挑戦をメインとする一戦だった。まさに立錐の余地もない入りで、立ち見の入場券を買ったはいいが、黙っていては見えない。人垣の合間からわずかにリング内が覗けるなか、“ハンマーパンチ”の藤が相手をリング外に叩き出す場面に戦慄を覚えた。

 あの頃、リングサイドの年間ボックスシートを持つのが夢だった。絶妙なタイミングで強烈なヤジを飛ばすリングサイドクラブの会員たちは、名前は知らなくともホールの名士だった。今彼らの姿はなく、長年続く不況の影響でボックスシートも激減している。やはりホールはぎっしり満員のなかで観戦したい。

 ここで半世紀の間に戦われた名勝負のなかからあえて一番を選ぶなら、'89年の高橋ナオト対マーク堀越の超逆転劇。劇画にしても出来すぎと言われそうな倒し合いの末、ナオトが死闘を制したときのホールに充満した興奮は今も忘れがたい。

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