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カーリング女子 「埋まらなかったストーン1個分の差」 ~涙の1次リーグ敗退~ 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byTsutomu Takasu/JMPA

posted2010/03/11 10:30

カーリング女子 「埋まらなかったストーン1個分の差」 ~涙の1次リーグ敗退~<Number Web> photograph by Tsutomu Takasu/JMPA
トリノの雪辱を果たすため、4年間かけて力を結晶させていった精鋭5人。
奇跡の大逆転やスーパーショットで日本中を沸かせるも、次第に重圧に呑まれ、迷走していった。
彼女たちはなぜ、世界の壁を打ち崩せなかったのだろうか。

 目黒萌絵は、こらえきれないように、声を震わせて泣いた。本橋麻里の目は赤かった。

 2月23日、すべての試合は終わった。

 こんな結末は、予想していなかった。この日で大会が終わるとも、思いもしなかった。

 ずっと信じていた。私たちが日本のカーリングの歴史を変える、と。

 それはかなわなかった。

 4年前の春。トリノ五輪から帰国し、しばらくの休養のあと、目黒と本橋、寺田桜子の3人は何日も時間をかけて話し合いを続けた。

「このまま、競技を続けるか、続けないか」がテーマだった。

 続けるからには、目標は4年後のオリンピックとなる。だが、4年は長い。トリノまで集中して打ち込んできたこと、カーリングをめぐるブームによる疲労もあった。3人それぞれに温度差もあった。だから、簡単に結論は出なかった。

 やがて、一つの結論に達する。

「もう一度、頑張ろう」

 本橋には、トリノで力を出し切れなかった後悔があった。目黒もまた、自身のパフォーマンスに不満を抱いていた。彼女たちの中の、不完全燃焼だという思いが勝ったのだ。

 目標には、メダル獲得を掲げた。

 そうでなければ、続ける意味はなかった。

「メダルを狙う」との言葉に表れていた手応えと自信。

 その後、寺田は体調不良を理由にチームを離れ、山浦麻葉、石崎琴美、近江谷杏菜とともに、目黒と本橋はバンクーバーを目指してきた。

'06年のトリノ五輪後にスキップの小野寺歩が引退してから、目黒萌絵は4年間にわたって「チーム青森」のスキップの重責を果たしてきた

 トリノのチームは、何がよくなかったのか。より強くなるにはどうすればよいか。5人は、常に話し合っては目標の確認と意思統一を図った。目黒は、そんなチームの様子に、手ごたえを感じていた。

「このチームは、みんなで作り上げるチームです。言いたいことも言いあえる。だから少しずつ強くなれていると思います」

 言葉を裏付けるように、チームが成長していることは、2008年の世界選手権で、表彰台まであと一歩に迫る4位に入るなど、大会での成績にも反映されていった。

 いつしか、「日本代表史上最強チーム」と評されるまでになっていた。

「トリノのときのチーム青森とは別のチームです。今度は、メダルを狙っています」

 目黒は、しばしばそう口にした。一からチームを作ってきた自負が、そこにはこもっていた。

「国際大会で経験を積んできたので、強豪に対する恐怖心もなくなってきました」

 本橋は、開幕を前に自信を表した。

► 【次ページ】 ロシア戦の大逆転勝利で波に乗るかと思われたが……。

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