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「世界最高」のゴールを呼んだ「舞台装置」 

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鈴木直文

鈴木直文Naofumi Suzuki

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posted2006/11/30 00:00

「世界最高」のゴールを呼んだ「舞台装置」<Number Web> photograph by Naofumi Suzuki

 夢のような一夜から数日経った今も、あのゴールはグラスゴーに興奮の余韻を残している。

 パーフェクト、アンストッパブル、ワールド・クラス、エレガント、センセーショナル、ワンダフル、信じられない、この世のものとも思えない、etc. etc...

 セルティックに初のCLグループステージ突破をもたらした中村俊輔のFKに対して、翌日の新聞各紙はおよそ考えうる限りの賛辞を送った。筆者のお気に入りは、「惹きこまれるような精確さ」(The

Herald)という表現だ。

 0-0で迎えた残り時間9分、優に25メートル以上はあろうかという距離から放たれ、GKエドウィン・ファン・デル・サールがいっぱいに伸ばした右手の先をかすめるようにゴール右上隅に吸い込まれたそのシュートには、思い返すほどに信じ難い、幻のような完璧さがあった。

 クラブOBで長年コーチを務めるトミー・バーンズは、その技術レベルの高さと、それを精神的重圧のなかで発揮したということを評価する。

 「あの距離と場面の重要度を考えれば、これから目にするどんなFKと比べても見劣りすることはないだろう。あのパワーと正確性を両立させたっていうのが本当にすごい。ナカはオールド・トラッフォードでも決めたけど、今度のはあれより15ヤードも後ろで、しかも彼はもっと高く蹴ったんだからね。ああいう重要な試合で、しかも残り10分っていうものすごいプレッシャーの中で、ああいう最高の瞬間を作り出せるのは、世界でも本当のトッププレーヤーだけだよ。」(Daily

Record)

 こんな具合に、中村が見せた文句なしに世界最高レベルのクオリティは、「SPLにこんなすごい選手がいるんだ」という誇りにもなっている。セルティックの16強進出、そして木曜日にレンジャーズがUEFAカップのグループリーグ突破を決めたこととも相俟って、ともすれば自虐的になりがちなスコティッシュ・フットボール界に「俺らだって捨てたもんじゃないんだ」という勇気を与えたといえる。

 しかし、言うまでも無いことだが、こうした評価は中村という選手の総合的な能力にではなく、FKという一芸に向けられている。この試合でも90分を通して「世界最高」だったわけではもちろんないし、チーム内のベストパフォーマーだったわけでもない。

 試合そのものも、アレックス・ファーガソン監督が不思議そうに振り返ったように、試合を終始コントロールしたのはユナイテッドで、本来なら彼らが勝って当然だった。にもかかわらず、中村と、終了直前にルイ・サハのPKを防いだGKアーター・ボルッチの2人による、いわば刹那的大活躍のお陰で、セルティックが勝ってしまった「おかしな試合」(The

Herald)だった。

 特に前半のセルティックは、最悪といっていい出来だった。これは主に、ゴードン・ストラカン監督が選択した守備重視の布陣が攻守に渡って全く機能しなかったことによる。

 ひとつには、ユナイテッドのクオリティが段違いに高かった。次の日曜日(5日後)に首位を争うチェルシーとの大一番を控えるにも関わらず、セルティックのホームでの強さを知るファーガソンはベストの11人を起用し、必勝を期してきた。1トップのサハ、左に開き気味のウェイン・ルーニー、反対に中央に絞り気味のライアン・ギグスらが上手くスペースを見つけては連動して動き、そこへポール・スコールズやマイケル・キャリックが的確なパスを配給した。セルティック守備陣は、常に彼らの「影を追いかける(Chasing

their shadows)」形になった。

 加えて、ボールを奪っても、後方のパス回しがぎこちない。最終ラインからのパスの配給に定評があるガリー・コールドウェルが負傷欠場し、代わって先発したCBボボ・バルデは、もともと足下に不安があり、そのうえ試合感を欠いていた。また、中盤の底にニール・レノンと並んで起用された19歳のエヴァンデール・スノーは明らかに自信なさげだったし、彼の起用にともないグラベセンが右、中村が左へと大幅に中盤の構成が変更されたことで、全選手がどう動いてパスを受けるべきか戸惑っていた。結果として、簡単なパスミスでボールを献上するか、苦し紛れに前線にロングボールを送るばかりだった。前半36分にはバルデの凡ミスから、クリスティアーノ・ロナウドに決定的な場面をプレゼントしている。

 セルティックにとって幸運だったのは、前半あれだけユナイテッドがボールを支配しながら、ペナルティエリア内での決定的なチャンスといえばこの場面ぐらいだったことだ。両SBのリー・ネイラーとポール・テルファーが、それぞれC・ロナウドとルーニーの進入をギリギリのところでよく防いでいたことを見逃すべきではないが、あまりに楽にボールを支配できるために、ユナイテッドの各選手が余裕を持ちすぎた、という面もあるかもしれない。

 しかしユナイテッドが詰めのところで非情さを欠いたことによって、「セルティック・パーク」という舞台装置がその効力を発揮し始める。なにせ、この試合前までCLで11戦して8勝1敗3分けというホームでの戦績は伊達ではない。(反対にアウェイでは同じく11戦して1度も勝ったことがないというから、これまた尋常ではない。グループリーグ突破の成否が次のアウェイでのコペンハーゲン戦までもつれ込んでいたら、如何にも不安だった。)

 後半開始と同時に、セルティックはFWマチェイ・ズラウスキとスノーに代えて、イリ・ヤロシクとショーン・マローニーを投入。左サイドのマローニーのドリブルや、いつもの右サイドに戻った中村とヤロシク、テルファーらの連携からいい形ができ始め、攻撃のテンポアップと共に、スタジアムの歓声のボリュームも上がってくる。

 実はこの歓声こそ、セルティックのホームでの強さを支える手品のタネで、試合終盤の2つのビッグプレーの下地を作っていく役割を果たす。

 接触プレーやオフサイド気味のプレーがあると、その瞬間に6万の観衆が一斉にワッとアピールする。セルティックに不利な判定に対しては猛然と抗議する。これが、レフェリーの心理に本人も自覚のないまま作用する。毎回セルティックに有利な判定がくだるわけではないが、数回に一度は観衆の怒号に呼応するように笛が鳴る。前半17分にはギグスが、後半開始から10分までにギグスとサハが、このパターンでオフサイドの判定を受けているが、スローでみると、どれもオンサイドのようにもみえた。

 中村の決勝ゴールとなるFKを得た終了9分前の場面もそうだった。大事な時間帯にヤロシクに対して後方からタックルを仕掛けたユナイテッドCBネマニャ・ヴィディッチの判断は賢明とはいい難い。しかしコンタクトはほとんどなく、セルティック・サポーターの怒号に促された“ソフト”な判定だ、とみた人も多かった。

 さらに、サハのPK失敗にも伏線があった。ゴールの直後、中村自身の不用意なミスからキャリックにボールを奪われ、ルーニーからサハへ決定的な浮き球のラストパスが通る。スタジアム全体が、オフサイドをアピールする。ボールを受けたサハは、この声に反応してプレーを止めてしまう。笛はない。気がついたときはGKのボルッチが目の前まで飛び出している。慌ててループで越そうとするが、ボルッチがかざした左手に呆気なく収まってしまう。

 このミスがサハにもたらした心理的な影響は大きかった。終了2分前、C・ロナウドのFKをマローニーが右腕でブロックしたとして、ユナイテッドにPKが与えられる。キッカーとしてペナルティ・スポットに立ったサハは、いまだにショックを引きずっていたようだ。彼が蹴る直前、キャプテンのガリー・ネビルが「アイツ、正気じゃないからたぶん外すよ」と、レノンに耳打ちをしたという。

 どちらのプレーも、中村の技術やボルッチの敏捷性がなければ成しえなかったのは確かだけれど、主役達の好演の舞台を整えたのは「12番目の選手」たちだったのかもしれない。

 ともあれ、この「おかしな試合」は、セルティックに初のCLノックアウトステージ=決勝トーナメント進出という快挙をもたらす「記念すべき試合」となった。試合内容(特に前半)のお粗末さが忘れ去られる一方で、中村のFKはその象徴的な場面として長くセルティック・ファンの記憶に刻まれることだろう。

 最後に、中村がセルティックに残し始めているのは、そうした「心に残る瞬間」だけではないということに触れておこう。FKの場面をベンチから見ていて「ゴールを予感した」という19歳のDFダレン・オディーがいう。

 「いつも若い連中で居残り練習してると、必ず彼がいてFKの練習してるんだ。どんなに上手くなっても、関係ないみたいだね。彼はいつでももっと上手くなれるって思ってるんだ。こういう姿勢は、僕らもよく覚えておかなきゃって思うよ。ショーン・マローニーとかエイデン・マッギーディもきっと彼から色々吸収してるはずだよ。」(Daily

Record)

 彼の体現するプロフェッショナリズムが、クラブの未来を担うべき若手選手の間に浸透し始めているようだ。

中村俊輔
セルティック
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