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故オベ・アンダーソンに捧げられた表彰台 

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西山平夫

西山平夫Hirao Nishiyama

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photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

posted2008/06/26 00:00

故オベ・アンダーソンに捧げられた表彰台<Number Web> photograph by Mamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

 6月22日、マニ-クール・サーキットで行なわれた「フランス・グランプリ」のトヨタF1チームは全員、左腕に喪章を巻いて戦っていた。前戦カナダGP翌週の6月11日、チーム創設者でありかつて代表者だったオベ・アンダーソンが、アフリカで開かれていたクラシックラリー・イベントで不慮の事故死を遂げたのを悼んでのことである。フランスGPはトヨタF1チームにとって弔い合戦となった。

 第7戦カナダGPまで、トヨタは不完全燃焼の前半戦を送っていた。一言で言えば予選の速さを決勝につなげられないのだ。エースのヤルノ・トゥルーリは第6戦モナコまで予選はすべてトップ10入り。しかし、決勝ではマレーシアの4位を最高に3回の入賞のみ。さいわいカナダは荒れた展開に助けられナンバーツーのティモ・グロック4位、トゥルーリ6位の今季初のダブル入賞となったが、トゥルーリの連続トップ10入りの記録は6で途切れた。トヨタの新居章年技術コーディネーション・ディレクターはフランスGPを前に「亡くなったオベ・アンダーソンのためにもしっかり戦い、本来の速さを見せて予選は5位あたり、決勝ではできれば表彰台を狙いたい」と、決意を述べた。

 果たしてトゥルーリは予選5位を獲得。カナダGPでのペナルティにより予選3位のハミルトンが13位に降格となったため、トゥルーリは4位からスタート。しかしこのワンポジション昇格は痛し痒しで、偶数グリッドはレーシングラインからはずれているため路面が滑りやすく、むしろ5番グリッドのR・クビサの方が有利なほどである。これに対してトヨタ陣営は発進時のエンジンの出力特性を変えることで対応。抜群のダッシュを見せたトゥルーリは、右前に位置するアロンソをも出し抜き、フェラーリ勢に次ぐ3位にジャンプアップしてみせた。

 その後のトゥルーリの戦いは見事の一言に尽きた。フェラーリ勢がはるかに先行したことで、トゥルーリは後方からのライバルのプレッシャーとの戦いに終始する。序盤、4位アロンソには問題なく差をつけることができた。次に迫って来たのはBMWザウバーを駆る前戦優勝者のクビサで、70周レースの30周目からその差1秒を切り、やがてテール・ツー・ノーズ状態に。これを解消したのは2回目のピットストップ作業。トゥルーリのスパートとトヨタ陣営の素早いピットワークで、再びコースに戻った時、二人の間には5秒弱の差がついていた。

 最後にトゥルーリに迫ったのはマクラーレンのコバライネン。残り10周、コバライネンは完全にトゥルーリを射程内に納め、勢いではコバライネンの方にはるかに分があった。だが、トゥルーリは中堅らしいディフェンスの技を披露。コバライネンを引きつけ、いなし、突き放し……の連続で翻弄。残り2周の高速S字コーナーではサイド・バイ・サイド。コーナー進入で2台はたまらず接触したが、ラインに踏み止まったのはトゥルーリの方だった。

 「レース中は攻めに攻めた。トヨタ・モータースポーツのために尽くしてくれた故オベ・アンダーソンにこの表彰台を捧げると誓ったからね」と、レース後のトゥルーリ。彼自身の表彰台は2005年スペイン以来3年ぶり、トヨタにとっては2006年オーストラリア以来2年ぶりのことだった。

 表彰台のトゥルーリを見て、1992年のハンガリー・グランプリを思い出した。この時のホンダF1チームはホンダ創業者・本田宗一郎氏の逝去を悼み、左腕に喪章を巻いて出陣。圧倒的強さを誇るウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルを、劣勢のアイルトン・セナが制し、勝利を故人に手向けたのだった。グランプリは時にこんな奇蹟と感動をもたらす。オベ・アンダーソンよ、安らかに眠れ──。

オベ・アンダーソン
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