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ロシアの13連覇がついに途絶えた!
最年長の中国ペア、宿命の金メダル。 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byTakuya Sugiyama/JMPA

posted2010/02/16 20:35

ロシアの13連覇がついに途絶えた!最年長の中国ペア、宿命の金メダル。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama/JMPA

 滑り終えると、趙宏博(ツァオ・ホンボー)は氷の上に跪き、感極まったようにしばらく両手で顔を覆った。総合1位という結果が出ると、パートナーで、妻でもある申雪(シェン・シュエ)と抱き合って喜んだ。

「五輪の金メダルは、長い、長い間の夢だった。いろんな大会で優勝して中国の国旗が掲げられるのを見るたびに、これが五輪だったらどんなにいいだろうかと思っていました」

 優勝会見で、趙はこう語った。

 1992年にペアを結成してから、18年。申&趙にとって、バンクーバー五輪は、4度目の五輪である。彼らが初出場して5位だった1998年長野五輪で、銅メダルを得たインゴー・シュトイヤーは、12年後の今日、ここで3位になったドイツのサフチェンコ&ゾルコーヴィのコーチとなっている。

 31歳と36歳のチームは、この五輪での最年長のペアだった。

1980年。世界選手権会場で失笑を買った中国代表のペア。

 彼らを育てたコーチ、姚濱(ヤオ・ビン)は1980年に中国代表のペアとしてはじめて世界選手権に出場し、最下位に終わった選手だった。当時の中国にはペアのコーチがおらず、写真を参考に見よう見まねで覚えた技を披露すると、観客たちに失笑されたという。いつか自分の手で中国のペアチャンピオンを作ってみせよう。そう決意した姚濱が育てた最初のペアチームが、申&趙だった。

 だがペアにおける後進国だった中国代表の彼らは、いい演技を見せても国際ジャッジから高い評価を得るまでに、長い年月を要した。

「私たちは長い間、6点満点システムで競っていて、技術点は高くても芸術点では高い点が出ず、中国人の表現したいものをジャッジになかなか理解してはもらえなかった」

 そう語る趙たちが唯一頼れるものは、高い運動能力だった。2002年ソルトレイクシティ五輪で史上初のスロウ4回転サルコウに挑戦したが、惜しくも失敗して3位に。

「あれから音楽やストーリーへの理解を深めるために大変な努力をした。そして旧採点方式の最後の2005年世界選手権で、私たちは9つの満点をもらうことができた。あれが中国ペアでも芸術的な表現ができると認められた第一歩でした」

トリノでは金メダル最有力となりながらも怪我に泣く。

 だが最有力金メダル候補になるはずだったトリノ五輪の半年前に、趙がジャンプの練習中に、アキレス腱断裂という重傷をおった。

「何カ月も氷の上に戻ることができずに、トリノ五輪ではほとんどぶっつけ本番という状態でした」

 それでも最後まで滑りきり、2度目の五輪銅メダルを手にした。2007年世界選手権優勝後、いったんアマチュア引退を宣言して、2人は結婚した。しばらくアイスショーの活動に専念していたが、五輪での金メダルへの思いを捨てきれず、最後の挑戦をするために2009年の春に競技復帰を決意。それは決して楽な道ではなかったという。

「7月、8月あたりに膝の関節や腰、肩などを痛めて1カ月ほどほとんど練習ができない時期があった。いったん復帰すると決めたのに、放りだしてしまうこともできず、そのころが一番つらかったです」

<次ページに続く>

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