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左フックと拳銃。
~「美しい破壊王」アルゲリョの死~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

PROFILE

photograph byGetty Images

posted2009/07/11 08:00

左フックと拳銃。~「美しい破壊王」アルゲリョの死~<Number Web> photograph by Getty Images

'81年6月、王者ジム・ワットを倒し、3階級制覇を果たしたアルゲリョ。生涯成績は88戦80勝64KO8敗

 アレクシス・アルゲリョが死んだ。2009年7月1日、「世界一美しいボクサー」だったアルゲリョが自殺してしまった。

 アルゲリョには、いままでにも何度か危機があった。強くて美しいボクサーだったが、もろい部分や破滅的な部分をうっすらと感じさせる陰翳も身辺に漂わせていた。だからこそ、私は彼に惹かれたのだろう。「無敵」や「無比」だけでは、あの魅力は生まれない。

ナイフのごとき左フックで3階級を制覇した。

 私は、頂点にいたころのアルゲリョを見ている。1975年10月、WBA世界フェザー級王者だった彼は、蔵前国技館でロイヤル小林の挑戦を受けた。小林は自衛隊体育学校出身の強打者だった。にじり寄るように相手に接近し、強い右を叩き込むのが特徴だった。

 その小林が、悶絶してテンカウントを聞いた。閃光のようにボディをとらえた左フックの軌跡を、私はいまでも覚えている。いや、閃光というよりも深く刺さったナイフだった。「黄金のバンタム」と呼ばれたエデル・ジョフレがボディへのフック一発で青木勝利をうしろへ飛ばした試合も壮絶だったが、アルゲリョのパンチには、それ以上の凄みがあった。

 アルゲリョはその後、3階級制覇に成功した。78年、エスカレラを倒してWBCジュニアライト級(現在のスーパーフェザー級)の王座に就き、81年、ワットを降してWBCライト級の王座にも就いたのだ。しかも彼は、3つの王座を一度たりとも失わなかった。無敗のまま返上し、上のクラスに挑んではふたたび勝利を収めていったのだ。

リングでの成功とは裏腹の波瀾万丈な人生。

 一方で、アルゲリョの人生は荒波にもまれつづけた。79年、故国ニカラグアでサンディニスタ(共産主義者)革命が起こったときは、すべての資産を没収された。2軒の家も、船もジムも養鶏場も車も、だ。彼の邸宅はソ連外交官の宿舎にされた。すでに拠点をマイアミに移していたアルゲリョは、怒りに駆られてコスタリカへ飛び、CIAが組織したコントラ(反革命軍)に参加して国境地帯のジャングルで銃を取っている。

 波乱はこれだけではない。82年11月、アルゲリョはWBA世界ジュニアウェルター級(現在のスーパーライト級)王者アーロン・プライヤーに挑んで失神した。夜遊びと麻薬に溺れて家庭を崩壊させ、マイアミの豪邸や車をIRS(米国国税庁)に差し押えられた。

<次ページに続く>

► 【次ページ】 人生の崖っぷちから幾たびも這い上がってきたのだが……。

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