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長崎清峰高校 短かった夏。/センバツ優勝の快挙の裏で 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byShinichiro Nagasawa

posted2009/08/03 11:30

長崎清峰高校 短かった夏。/センバツ優勝の快挙の裏で<Number Web> photograph by Shinichiro Nagasawa

選抜大会では最速148キロをマークしたエース今村猛。女房役の川本真也と

地元の人間ほど清峰の全国優勝を信じられなかった。

 地元の人間ほど、現在の清峰の姿は信じがたいようだ。佐世保出身の作家、村上龍も自分のホームページでこう書いている。

≪わたしはちょうど上京していた母とハイタッチをして歓声を上げました。普通は郷里だからと応援したりしないのですが、清峰高校は特別です。(中略)北松浦郡の県立高校が(中略)甲子園に出場したというだけで驚きでした。今回は全国優勝です。信じられないという思いとともに、勇気が湧いてきます≫

 甲子園に感動するなどもっとも似合いそうもない無頼漢、村上龍でさえ、これだけ素直に心を揺さぶられているのだ。

 川瀬が着任当初のことをこう述懐する。

「最初の頃はトイレが目茶苦茶にされていたりしてね。要するに学校にプライドを持てずにいた。だから、そんなことをするんです」

抜群の生徒指導力を持つ吉田監督が野球部の空気を変えた。

 吉田は、校名が変わる2年前、31歳のときにそんな北松南にやってきた。母校の佐世保商、平戸を経て、3校目の赴任先だった。

「生徒指導は、平戸にいた5年間で鍛えられた。平戸もかなり荒れていましたからね」

 平戸時代は、吉田もまだまだ血気盛んな頃だった。こんな話がある。クラスの収拾をはかろうとしていた吉田は、とりあえず、いちばんケンカが強いやつに目をつけていた。

「パソコンの授業のとき、そのボス格のやつが、キーボードを適当にカチャカチャ打っていた。だから近くにあったキーボードでそいつの頭を思い切りぶっ叩いてやったんです。そいつはのびちゃったんですけど、僕は平気な顔をして授業を続けた。死なないってわかってましたから。悪いやつでも、怒った後、手をかければ絶対ついてきますよ。卒業後、そいつの結婚式にもいきましたからね」

 身長163センチ、体重70キロ。大きな体ではないのだが、吉田にはどことなく迫力がある。それは、さわやかな風貌に似合わず、こんな過去を持っているせいかもしれない。

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'01年春に赴任してきた吉田監督は今年40歳。10代は相当ヤンチャもしたが、教員は自分の天職だと言う

「中学生の頃はケンカばっかりしていた。でも、負けた記憶がない。カーッとなったら、痛みを感じなくなっちゃうんですよね」

 北松南に赴任してからも、吉田の生徒指導力は群を抜いていた。川瀬が話す。

「彼がおったから、うちの高校はよくなっていった。吉田君は生徒を捨てなかったからね」

 部員はわずか10名という弱小だった野球部も、少しずつ変わり始めていた。川瀬が感嘆したのは、吉田の吸引力だった。

「知らない人が材木を持ってきたと思ったら、吉田君の友だちで、2、3日で屋根付きのブルペンができたりね。似たようなことが何度もありましたからね」

 ただ、野球部の歴史を語る上ではもう1人、欠かすことのできない人物がいる。それが、吉田とともに野球部にやってきた色白で長身のコーチ、清水央彦(あきひこ)だ。

【次ページ】 吉田監督と清水コーチ、2人の情熱が生んだ成果。

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今村猛

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